2013年3月18日月曜日
南三陸町のまえの吉本海岸に一軒取り残された宿泊施設のようだ
このスケッチは海岸に取り残された一見の海の家? ホテルかな土台は砂が全て流されコンクリートの土台がむき出しになり毎日波に洗われています。 全く見捨てられた建造物です。 巨大津波は2階まで浸水し、となりにあった建造物は完全になくなり土台しか残っていません。
場所は南三陸町に入るまえの吉本海岸だと記憶しています。 この入江の内側も壊滅的な被災をしたところです。水田住宅全て流されたひどいところでした。
この写真は気仙沼の港町の中心街だと思う。 そのような住宅、水産加工工場、倉庫そして事務所等が密集していた場所を津波が直撃した。 これは多分漁船の燃料を貯蔵していたタンクが津波で配管を断ち切られ市内に流されその間に油が海面に流れ火災の原因となった。
これは多分水産加工工場や作業場に津波が破壊した家屋等の残骸を巻き込んで市街地に流れ込んだ。 その中には当然自動車、トラック等を多数含んでいた。
けれも多分水産加工場の屋根だろうか?下部を引きちぎって屋根だけ流れたのだろうか? 流れ着いたところはガレキの集積場のようだ。 多くにも大型の建物が倒壊したり半倒壊で残されていた。
あらゆるがれきの中には長距離の定期便のトラックも数多く含まれていた。 ここでもトラック全体が住宅や店舗と一緒にガレキになってしまった。
この写真は被災直後は足の踏み場のなかった被災地だが、緊急車両や救助車両をスムーズに通過させるため急ピッチでがれき撤去か行われ、1ヶ月後hかなりスムーズに被災地に入ることができた。
地盤沈下で海水のもどるところがなくなり、被災地のいたるところにこのような水溜りが目立っていた。 このために50cmとか1mの道路のかさ上げが急ピッチで行われた。
津波に押し流された障害物が次々と弱い建造物を破壊しガレキを無数に作っていった。その後行き場のなくなった津波は多くの陸上のガレキを海に引きずり込んだが、陸地に残されたものも無数であった。
地盤沈下と何かのはいかんだろう地面の高さまで出てきてしまったようだ。残りは地盤沈下の鹿折地区と奥は火災のひどかった場所だ。
作りたての真新しい、先端の冷蔵庫も区別なく破壊だれ、当日撮影していた時にこの倉庫のオーナーだろう、部長クラスの方と復旧の計画を立てておられた。
津波のパワーは特に、気仙沼はひどくご覧のように燃料タンクやトラックも跡形のないほど大きなダメージを受けていた。 誰もこんなに強い津波を予測出来なかっただろう。
鉄骨コンクリートの建物もご覧のような凄まじい姿で取り残された。 右側は嵩上げされた道路だ。
かなり高い工場のようだが津波は屋根まで破壊していった。
この気仙沼は日本有数の魚の水揚げ量を誇っていたので、そのヘドロの被害もすごく、奥の住宅街も津波の浸水が、ヘドロと一緒だったので、津波に浸かった家財道具はほぼ全部廃棄処分にされたようだ。
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