第二回
寂しそうにそのオーナーに聞いた。何もして上げられない自分がいて、時間が来たので、そのまま帰ってしまった。 後ろ髪を引かれる思いで。次回は自分ひとりで来て気ままにお手伝いしたいと考えていた。
気仙沼では厳しい体験もした。
4月7日
自分はバスの中で寝ていた。クッションが少し良いのでそれを選んだ。夜中11時半ごろだろうか、地鳴りとともにバスが揺らされ、凄い音とゆれと、そして電気が消え始め、最後は道路の信号が消えた。ショックは強く、これは危ないと感にバスを逃げ出し、隣の皆の泊まっているしっかりした建物に逃げ込んだ。逃げ込むときに確認したことは建物の壁面が落下するのではと感じ上を見たと思う。 ど同時に何かの大きな音がし始めた、あとで分かったことはその老人ホームの自家発電が動き始めた音だった。 その後津波警報が地域の放送で流れ、皆緊張した。真っ暗な気仙沼の町には消防車や警察のバイクが走り出し緊張が募った。
しかし津波は来なかった。記憶だと震度7.4の最高の余震だった。
浜松に帰り、浜松教会で何か出来ないかいろいろ主任司祭と相談したがなかなか動けない、調査を含め、何か出来ないか考えるために許可をもらって再度気仙沼に入ることにした。
今回はまず気仙沼のジムを個人で助けたいとの希望もありボランティアにで、同時に記録を留めるためにしっかり写真を撮影することにした。 ガソリンの供給は心配であったが、頭を使えばそれもクリアー出来ると考えた。 時間帯を考え早朝や深夜の大きくない町の高速のインターで給油することこれが狙いで、その通りに給油は出来た。寝る場所は車の中だ。 毛布を持ち込み寒くない配慮をした。 おかげでその間はまったく問題は無かった。
気仙沼を再度訪ね、そのジムに顔を出した。 小林さん本当にびっくりしてくれ、それからジムのトレーニングマシーンを全部分解し、解体して業者に引き渡した。少しでもお金をもらえる業者を選ぶように助言した。その後業者が入りその金属類を売ることが出来た。たいしたお金ではないだろうが、何か』得られたようだ。
その後2日間ほどジムに貯まったヘドロの回収と室内を清掃し、綺麗にして業者を探し、事務所に貸す計画を聞いた。 次に隣のレストランを綺麗にする努力をし、かなりかたずいた。
その後時間が来てお別れをすることになった。
この写真は桂島に入った6月22日の写真でこれが自分の自宅より大切な海苔の乾燥機で1台2500万円ほどするそうだ。 この機械が5台もやられると、桂島にとってかなりの痛手だ。
今日(7月30日)数日前から本格的な重機がはいり、家屋やガレキを撤去し始めた。例の海苔の乾燥機はなんとブルーの鉄くずと、網を干す網板とフレームに変身して哀れな姿になってしまった。あと1,2ヶ月もするとガレキもほとんど整理されるkぽとだろう。
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