2011年7月8日金曜日
南三陸町 歌津から尾崎神社に行く
今日は、南三陸町内に、久しぶりに入る。
何が変わっているのだろうか? ガレキは少なくなり見晴らしがよくなっているのには気がつく。 それを感じながら、歌津町に向かう。 見覚えのある入り江の角の展望レストランだろうか? 赤い鉄骨がまだコンクリートボードの間から見え隠れする。 海面の上に鉄道があり陸地側は鉄路が地面の落ち、海上の高架部は多数落下し、橋脚しか残っていない哀れな姿を見せている。そこを通過し林さんが目指す、ローソンを目指し、交差点を右折する。 そこから歌津尾崎の半島の先端に向かってドライブする。 景色は被災しているところは同じ破壊のシーンであまり変わらない。 小さないろいろな入り江が破壊され、家屋はガレキのままに残っているのが目立つ。何箇所も同じような被災地を通過しながら半島の先端尾崎にたどり着き、林さんの義理の母の実家に到着する。 11時ごろ着いただろうか。
林さんの幼いころの家族の話、慕っていたお姉様が三陸町で亡くなられ、そのショックを隠すことは出来ず、時折涙を流されたり、写真を撮影するのに反応され、その他親族の方々が数人お亡くなりになっていらっしゃるので、私自身、そちらのほうに案内するのはためらい、
偶然以前林さんの知っておられる、榎本神父様もこちらに来られ、石巻方面を訪問するからと声をかけたら林さん南三陸地方に行くことをOKを出され、その後南三陸地方の実家に連絡され、朝から訪問することに決定したわけです。
最初ご家族のの印象はやはり元気をなくされた感じがし、話の合間合間にボーットされる場面があり、ショックは大きいなと感じた次第です。 隣室にそのお写真が仏壇にあり、神父様が同席してくださっていたのでお祈りもささげていただいた。
このような震災の中でもおもてなしの心は変わらず、お昼をご馳走させてくださった。 いろいろ食生活もお尋ねし、心では何かご援助できないか探りをいれ、お食事を出され皆さんご一緒に食事をしたのだが、やはり大変貧しい生活を強いられているのを実感させていただいた。 何を支援したらよいのかも知ることが出来、訪問の成果は上がったと思う。
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