2011年7月7日木曜日

七ヶ浜で最初に仲良くなった魚の仲買さん

多分, 自分の記憶では5月初旬だろう七が浜にきだして3回目だろうか、港の小屋の上に小型のヨットがバランスよく鎮座していたので写真をよく撮ったものだ。 そんな中でどなたか港の小屋のほうから歩いてこられた。どちらが先か定かではないが声をかけあい、少しお話をしたと記憶している。
震災の当日自分は津波を逃れるために仕事場のビルに逃げたこと。そこビルの前の自宅が津波に飲まれ、沈んでいったこと。それまで明るく笑って話してこられ、しかし実家が目の前で消えていったときには『さすが涙が出た』と笑い飛ばされた。凄い人だと感じた。 
自分は今までこの海からすべてもらってきたので『家が無くなったが何もうらんではいない』『しかし自然には絶対に負けないぞ!』とこの廃墟の中でただ一人だけ働いておられたのが印象に残った。 何か支援してあげないとと強く感じたのを覚えている。 その後このご家庭が何を望まれているかは伺えず、自分で想像して何かまとめて持っていったことを覚えている。その後七が浜に来ると注意してみたり、挨拶したり、お話に行ったり、支援物資を差し入れたりの関係が続いている。一時期この店が閉まり人影が見えず心配したこともあったが、その後姿を見ると何か安心し、6月1日がこの海の解禁でそれを目指してがんばるんだと息子さんとがんばる姿に力をもらい。先日久しぶりに姿を見たので話しによった。相手も『心配されていたようで、久しぶりね、もう帰ったのかと考えておられたらしい。』うれしいことだ。

話していくうちにここはハエと蚊が多く困っている
それならと昨日支援の物資を少し買い、今まで考えて買っていた『蚊取り線香』も持ってゆこう、で今日午前中に届けた。お店は壊れてはいるが、ご子息と働いていた成果が出ていた。大型の冷蔵庫も入り水槽がいくつも用意され海水が入っていた。見せてもらうとなんと生きた『ヒラメやカレイ』『その他の生きた魚が泳いでいた』見事立ち直って、仕事を再開しておられた。凄いの一言に尽きる。
奥さんもその中で机を持ち込み忙しそうに筆記したり、多分電話での注文を受けておられるのだろうと推測できた。この家族は皆明るくすばらしい。 最初に言われたとき、写真撮るならこのベランダから撮ったらいいと招待された。そのときは遠慮したが。 今日奥さんに一番喜んでもらったのはやはり『蚊取り線香』だった。 大きいパッケージをいくつか買って車に入れておいたのが重宝した。
最後にお礼をいただいた『これ、もって行きな!』と『大きく見事なカレー』を一匹いただいた感激だ!『壁、直らないね!』うん!『お上が最優先だからいつになるか分からない。』

今からもこの家族の復興を見守りたいものだ。 まだ名前は聞いていないが。

カレーは今夜ボランティアの方々のおなかの中にうまく納まった。 菅原さんが大きな魚を見事裁いていただいて。助かりました。本当にありがとう。

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