2013年1月27日日曜日

大船渡の被災家屋と国道45号線で気仙沼へ



このスケッチは大船渡の昨年10月だが、高台したの鉄骨の家がまだ解体を待って、立っていた。 オーナーらしき人がここで何か、古いものを他詰めている気配で、1階の軽自動車のそばで働いている気配がしていた。津波はこのあたりだと2階まで襲ったらしくその爪痕がいたるところに残っていた。


上の写真は最初のボランティアで仙台から気仙沼に案内されるところで、被災地の真ん中を通る国道45号線のいたるところでがれきの撤去作業が行われ、渋滞の原因となっていたが、皆震災のひどさを痛感し、黙った見ていた。


これだけの広大な被災地を実感すると(実はまだ、ほとんど見ていないので実際は分からないが)目に付く被災地を見ながら、徐々にその大きさを体験していたのである。 この場所でさえ見渡す限りがれきの散乱したところだが、小さな重機がわずか1台しか動いていない歯がゆさを感じている。


道路のそばには車から、漁船、そして家屋の倒壊した残骸、家屋から流出した家財道具がいたるところで散在していた。 斜面の樹木はなぎ倒され声にならなかったのを覚えている。


この白いものは何だろう?と撮影したもので、国道のガードレールではなく、何かを落下から守るものだったかもしれない。わけのわからない物がどこでも散らばっていた。


津波が入り込んだ家屋は外壁が壊され、中にあった家財道具はほとんど浮き上がりその流出場所を探して残りの外壁を破壊していったようだ。その津波の強さに耐えた家屋はこのように残ったのだが畳をはじめ家財道具はほぼ全て破棄されてしまうだろう。


ガレキの集積場所がまだ決まっていないし、持ち主がそのご探すと予測されるので、多分道路などにあったこれらの品々が一時的に集められているところのようだ。


車窓からみた国道脇の場所だが高台までほとんどがガレキに化していた。


前の乗用車が仙台教区の小松神父様が運転するスバルです。すでに日常化している工事現場の通行整理のガードマンが少ないが配置されていた。


ゴミ収集車がくるのを待っている使わないと判断された家財道具やがれきが。道路に日を追うごとに増えてゆくのである。


国道に似合わない漁船が横たわっているのにはやはり最初は驚いたが、色々被災地を見るうちに慣れてくるシーンの一つだろう。 港が、あるいは海が近いのかな?

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