2013年1月25日金曜日
最初のボランティア 気仙沼で
大船渡の港近くにある地元(東北)のスーパーマイヤの施設が津波で被災し、これらの大型施設が取り壊しを待っている状態で周囲に重機が散在して解体の雰囲気がで初めていた。
津波は1階を完全に水没させ2、3階はどれほど津波に洗われたのだろうか、津波のラインを読むことは出来なかった。
気仙沼の最初のボランティアグループは静岡の教会グループで、仙台のカリタスジャパンに申し込んだらなんと250kmほど離れた気仙沼まで案内され、そこで地元のボランティアセンターで仕事をするようになった。 家族的な雰囲気で、食事は全部持参、器具はあればそこで借りることができた。
ここは気仙沼の港から500mくらいしか離れておらず心配したが、岩山の裏の8階建のマンションのレオびーを借りて寝泊まりした。 市内はこのような状態で津波の仕業で、振動による倒壊は見ることが出来なかった。
朝食はありあわせ、持参したものを食していたと思う。
しかしショックだだったのは4月7日の余震で真夜中にたたき起こされたことだ、震度7、3くらいだったかな? 自分はバスの中で寝ていたが、あまりの凄まじさで、迷うことなくマンションに駆け込んだ。 上からの落下がないだろうか少し心配しながら・・・
ねるところはロビーの床の上直に寝たので固くて、バスのシートの方がまだ心地よかったのでバスを選択したと記憶している。 寝具も持参した毛布や寝袋が使われた。
気仙沼の港周辺にはこのように車も漁船も同居してさながら、混沌だったと記憶している。とりあえず、行政は道路から邪魔者を移動して車が通行できるスペースを確保していた。 ただ気仙沼も例外なく地盤沈下があり、通行を難しくしていた。 まだそれを解決する盛土はあまり無かったと記憶している。
港の桟橋周辺はご覧のように、係留されているものは多くが火災にあった焼け焦げた漁船だった。桟橋の道や広場は津波が掘り返したように、コンクリートのパネルさえこんな状態だった。
通常はこんな光景は新聞ダネだが、今回は場違いなシーンはいたるところで拝見できた、津波で浮かび上がり、引き落とし並みで最後に引っかかたのは屋根の軒先の上だった。
海上にあった大型漁船が火災に会うなんて常識では考えられないが、多くのビデをを見ると気仙沼は重油タンクが沢山内陸に向かって津波が運んだのは記憶に新しい。それらが重油を海上で垂れ流し、がれきに引火して火災が起きたようだ。
上のタンクも漁船の燃料を保管していたところから管が抜け流されたところは陸上だったようだ。
タンクもいろいろなガレキと衝突を繰り返しベコベコになってしまった。
どこの港でも見ることができる船を係留するもので、いかにも強そうな様相をして経っているが、今回の津波には勝てず根元からボッキリ折れて転がっていたのにもビックリした。
津波が襲ったのちに止まったであろうガソリンスタンドのかべに残されていた時計だ。
ご覧のように天井もめちゃめちゃでここまで完全に水没した証拠だ。
桟橋の岸壁に打ち上げられて残った漁船だ。 ここの桟橋かあるいは他から流されてここが終点だったかは定かでないが・・・・・
焼け出され、1ヶ月海水や風雨にさらされところどころサビが出始めた、火災で被災した漁船が桟橋を占拠していた。 被災後警備に人など割り当てられないので、こんなに近くで観察できた。
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