このスケッチは大船渡市に入る前の川で水門は壊れていなかった多分ここも水門の開閉はできず、それ以前に堤を大幅に超えた水量が一気に市内に流れ込み、この土嚢を積んでいる部分は堤が壊れてしまったようだ。 これくらいの塊のコンクリートなら今回の津波に耐えることができたであろうが、それ以前に土を盛った川の堤は長時間に浸水で壊れるのは時間の問題だろうと予想はできる。
ここは気仙沼漁港で多分このくの字の部分はコンクリートのカバーがついていたようだが、ほぼ全てのコンクリートは移動して内陸部にめくれ上がっていたと思う。
これは小さなそれでも、コンクリートの建造物が横転して水路の中に落ち込んでいて津波の強さを改めて感じさせられた。
船だろうが建造物だろうが、お構いなく動かして行った津波のパワーは、震災後1ヶ月たっても、ほとんど手つかずの状態が現地に残されていた。
これは大型のイカ釣り漁船だが海上で火災に会い、真っ黒に焼け爛れてしまった船体を漁港に係留していた。 今は海中に沈められたか、スクラップないなって、見ることはできないが・・・・
これらの火災に会った船体は自分から火を出したわけではなく、周囲のガレキに引火した重油が海上で燃え盛り船体を焦がして行ったと思う。
これは何だろう? 解散物の加工のための機械だろうか
どこから流れ出してきたのかさだかではないが場違いなものである。
最初のボランティアさんたちはこんな出で立ちで仕事に行っていたものだ。 地元の人などは自転車が便利で自転車を手に入れて現場や、お手伝いのところまで自転車をこいで行っていた。
この写真は気仙沼の魚市場でここも地盤沈下がいたるところに見られ、使える状態では無かった。しかし震災で市場の建物が落ちているところは無かった記憶している。
最も悲惨な火災を受けた漁船だ震災後1ヶ月風雨にさらされてしまったので、船体にサビが出はじめ外形は残すが火災の凄さを改めて見せつけていた。 最もこれら火災んお原因は漁船のための燃料保存が津波で引きちぎられ流れて湾内から内陸部を燃やしていった。
津波のパワーで海から陸に押し上げられた漁船たちで、ここではあまり見えないが、内陸の住宅を襲った津波は皆真っ黒なヘドロを市内中、家の家財道具を汚して使えなくしてしまった。 最もそれらのヘドロは住民、仕事場の海産物業者等が出した汚水が原因をしていると、考えなければいけないものを持っていた。
これはヘドロを含む汚泥が乾ききれずに残されている、その上に流れ着いた被災の建物があるがその下の汚れた土をよく見て反省し、次の津波に備える準備が大切だと思うが、悪い習慣はそれほど変わっていなかったと、1年半のボランティアで感じたものである。
これは気仙沼の港にある神社の参道だと思うが津波で壊されてしまい、当分参拝できない状態であった。 後ろは被災した気仙沼の町並みの一部だ。
震災のボランティアをして感じたことは安い材料しか使えなかった庶民の住宅の被害が大きく、お金があって、それなりのしっかりした材料を使った家は津波にも耐えたのが、皮肉であった。ボランティアはお金持ちの家のお手伝いが多かったと今でも感じている。 庶民の方にはボランティアのお手伝いすることもできない、何もなくなった方がおおかったようだ。
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