ボランティアをやりながら、翌朝早く起きだして気仙沼の中心街に行きたいと思いなるべく、早く現場に出たいと思い地元の方に近道を聞いたら、自分は上の避難所にいるのでそこから行けば早いと教えてもらった。 避難場所も少し覗いたが、入るのは失礼だと思い、外から見せてもらったら、自衛隊の車両がたくさん止まっていたので、安心した。
この写真は気仙沼の3月11日に見た映像らしい高台が近くにあったので、そこを見た。 やはり当日は多くの人が避難し津波を眺めたらしく、高台で気仙沼港が一望に見えるところで、枯れ草が押しつぶされ、人々が来たことを示していた。
ここからの眺めはショックで、津波の大きさ、パワーを感じることができた。
いたるところにガレキが散乱し、家が傾き、あるいは完全に倒壊しているのを見ることができた。
これは大きな街らしく、ビルのあいだにあった木造の住宅は多くは倒壊してがれきになっていたるところの空間に散乱していた。
ここは幹線道路だろうか?道路が綺麗に見えるのは緊急で仕事をしたおかげだろう。
テレビの放送で見た気仙沼の津波はものすごく、大河が押し寄せてきた感じであったが、その割にはコンクリートの建物が頑張って残ったので被害がまだ少なかったのかな!と感じた。
これらの写真は高台からまず気仙沼の被害を客観的に見たいと、上からの写真もたくさん撮影させてもらった。 木造の建物はご覧のように粉々にくだけ散っていた。
真ん中の木造の家、よくあの大津波に耐えて残ってはいるが、『完全に解体、撤去されるだろう』は、下に入って感じた感想だった。
破壊尽くされた気仙沼港のの上から見たシーンだが、感想は古い街には建物も古くなって強度も減り、津波に耐えられるだけの力のない建物は当たり前のように壊されてしまった。
ここは高台から写したもので、家の屋根がこのように下に見えるのは近くにこれだけの高台があるので比較的避難がしやすかったと思う。 死者、行方不明者は比較的少なかったようだ。
ビルの3階、4階も屋上がこのように撮影できるのは高台が30m程はあるのかな?気仙沼はこの高台の裏が街で、小高い山が入り込んでいるので、ボランティアで泊まったマンションも全く被害はなく、津波が入った形跡もなかったので、ボランティアの宿泊に当時は貸していただけたようだ。
この様子だと津波は2階の床ぐらいかな? 2階の窓は壊れていないので、浸水した高さが予測できる。
津波の侵入はまず川から遡上し、津波の幅と高さが異常なためすぐに川の堤防を乗り越え、次は道路の何もない空間がか上にお仕上げてくるのが当たり前でそこから四方に水が押し広がり街を破壊した。 同時に海水はヘドロを含んだ真っ黒な津波でこの汚れのために家財道具をほぼ全部捨てることになったのが、これら大きな港町だった。(気仙沼や石巻)
屋上までガレキが上がっていないのは、水深がそれほどなかったからだと推測出来る。 これだけビルがたくさんあるのでかなり津波の防波堤になったと推測出来る。
これらの雑草は当日地元の人がここからも、破壊されてゆく故郷を見ていたのだと思うと、悲しくなってくる。
ビルのあるものは傾いたり押し出されたり、外壁をすべて剥ぎ取られたりしたシーンをたくさん見た。今回の津波のパワーは、戦争の爆撃でもこんなに小さく潰されることは無いのではと感じた、正直な感想でした。
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