2012年9月18日火曜日

大川にはありとあらゆるガレキが流れ込んだ(当日は4月7日最大の余震に襲われる)


これは気仙沼のボランティアセンターで被災地でのボランティアのあり方についての注意が参加者に行われた。 
これは朝のミーティング風景だと記憶している。震災後まだ1ヶ月経過していないので、多くは素人で、それでもやる気は満ち満ちていた。


指定された今朝のボランティアが入る住宅地は多くが破壊を免れ、しかし津波は2mほど入ってきているので周囲には家財道具やヘドロが自宅周辺にうず高く積まれていた。 


今朝の仕事はこの住宅のヘドロ出しが仕事で、ご主人と奥さんで1ヶ月できるだけ働いてきたがまだ少しヘドロが残っているので、ボランティアの要請を出したそうだ。 (両人とも疲れていらした)


畳は処分し、床板をはがしこのような状態にして、床面では一輪車を持ち込みここにヘドロをいれて道路まで移動するのが仕事だ。1ヶ月ほど経過しているが日光が入らずヘドロからはまだ水分が抜けず悪臭を放っている。
そののちに最後は石灰を巻いて応急の消毒をするのが一般だった。


ここでも 住宅から出た畳がうず高く積まれて、撤去を待っている。 これらはほんの初期段階でそれ以外、残された家庭で生活できるために家庭内の仕事がまだまだ続くのであった。
グーグルで調べたら気仙沼 大川という、川の名前だそうだ


ボランティアの休憩時間に周囲の様子を見るために少し歩きながら写真を撮った。 市内を挟んで2本の川が流れているが、この川が一番ひどく、津波がかなり高く押し込んで来たようだ。
また、引き波ではがれきをたくさん川の中に引き込んで海まで戻ったらしいが、その途中で、ありとあらゆるものを川の中、河川敷に残して引いてしまった。


川の堤にもたくさんのガレキが残され、川の中には大型の定期便トラックや、住宅、乗用車、漁船、コンテナー、ありとあらゆるものが残され津波の凄さを残していた。


倒壊を免れた住宅はこの近辺は多く、津波の最終点近くかな?(家屋を破壊する威力はなくなっていたのだろうか?) 庭木にはご覧のような生活用品が絡まり、住宅を粉々に壊し、家財道具を飛散させお津波が引くと構いなく残して行った。


ご覧のように川の中には大きな塊ができ、多分鉄骨が何かに引っかかり、そこに流れてきた ありとあらゆるものが引っかかり、大きな塊を作っていた。


河川敷もひどく津波が引いたあとは多くの車両がいろんなところに取り残されていた。こんなに大きな定期便でも川の中まで押し流されてしまった。


このあたり一面、川の中には多くの車両が沈んで無残な姿を見せていた。 乗用車のガラスはほとんどが破壊され(衝突でも自動車のガラスは破壊を免れるのだが)、津波の威力は計り知れない ものをいたるところで披瀝していたようだ。


この川(大川)の中には何台の車が取り残されたのだろう? 東北から降りる少し前に気仙沼は通過したが、この川はすでにガレキや家屋、自動車なども見る限りすべて撤去され、震災の跡を見ることはできなかった。 多分川底には まだたくさんのガレキが残っているだろうが・・・・・


これは気仙沼の少し小高いところにある市役所の庁舎だが、写真からは津波が入った形跡が見られる。 2階の窓ガラスがかなり破壊されているので・・・・。
当時はここでもボランティアの業務を始められていたと記憶している。 急遽1階は修理をして、緊急の対策課を立ち上げていたのかも知れない。

この写真のデータだと4月7日とあった。 この夜、11時456分頃 巨大な余震に(震度7.3だったかな?)たたき起こされた。 当然避難警報が出て周囲は停電になったと記憶している。

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