2012年9月16日日曜日


この写真は2011年4月6日に気仙沼に入った時バスから撮影したもので多くの家屋は倒壊して建物の周囲にはその家屋から出て廃棄処分の家財道具や周囲に散乱した、津波で運ばれたガレキが山積みされていた。 想像には事欠かないが、復旧車両を通過させるために努力されたがれきの集積が、努力の結果で、自分たちボランティアの人々がかなりスムーズに入ることができ有難かった。


 国道45号線は仙台から気仙沼までは実際に入ることができにくかったのが、南三陸町、陸前高田の中心街 そして橋の落ちた歌津や吉本町くらいで、ここも迂回して探せば入ることもできた地域だった。 これも車道がしっかり確保された気仙沼市の中心街


建物のコーナーの柱を津波でえぐられた家屋を今後沢山見ることになったが、気仙沼ではビルの柱もえぐられ、傾いてしまったビルを撮影した。 お構いなく津波は車でも電柱でも運んで来て、引き落とし波が弱いとそこに残してゆく、習性があるようだ。


 気仙沼の港は漁船を津波が押上地上へと押し込んで残していった、漁船や船舶が沢山市街地にのこされていた。 道路のコーナーに残された漁船


車を軽々と持ち上げた津波はどこにでも手がかりがあると置いてきぼりにした。 この乗用車を2階のひさしにおいていってしまった。


岸壁には気仙沼の大火の原因となった漁船用の燃料タンクが数多く市街地まで流され、バルブを壊されたタンクはオイルを海面に垂れ流し、そのオイルに火がついてガレキと周囲の建造物を焼き払ってしまった。


大型の漁船が打ち上げられた港、船員に聞いて見たところこの船はたくさんの原油が入っていることダメージが少ないので海に戻し再生できるだろうと話してくれた。


気仙沼の岸壁には火災で焼かれた遠洋漁業の漁船が沢山係留されていた。 焼けた部分はいろいろあるし、丸焼けになった漁船、船室周辺とエンジン周りがメインで焼けたもの等が、たくさんあった。


津波の威力は凄まじく、岸壁のコンクリートのブロックもごらんのようにはがしてめちゃくちゃにしてしまった。


この漁船は半分焼失し、同じく船員に聞いたら、こんな漁船は使えず、海に沈めて漁礁にするか、スクラップで売れるかいずれかだろう・・・・・・・と


このガソリンスタンドも悲惨で、間口が大きいため、津波とガレキに押し込まれ、多くの遺留品を残された被災建物だ。大変な仕事を残されたものだ。


震災の時停電で動きを止めた時計、天井まではがしてしまったのは津波が天井以上に侵入した証拠だ。


津波の威力を見せつけた港の岸壁に用意された船を係留するための鉄の塊がいとも簡単に切断され、岸壁に転がっていたのにびっくり。


丸焦げになった大型の漁船だが、これは海中に沈めて漁礁になる運命だろう。 3日間燃え続けた気仙沼の漁港と近くに火災した鹿折(ししおり)地区がひどかった。


いたるところに津波の影響が残り、海面の高さが一気に 上がったために簡単に漁船でも家屋でも自動車でも一気に内陸の奥まで、あるいは逆に引き波で海中に引きずり込まれた。


震災1ヶ月後では仕事の気力を失った被災者たちには大変な仕事を残し、多くの人々が希望をなくしただろうと推測することは容易だった。


 岸壁は亀裂が入ったり地盤沈下で高さが狂い、復興の複雑さを考えさせられた。


岸壁の守衛さんの待機所だろうか津波でひっくり返り、海中に引きずり込まれる寸前で引っかかり海中に水没することを免れたもの。

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