2012年9月20日木曜日
2011年4月初旬 気仙沼の惨状
これは気仙沼の大川の一部でここだけガレキが集中して川の中に流れ込んだ様相を見せていた。
多分、推測だが、引き波の時にここに集中して海水が海に戻って行った時の道ではないかと考えた。 理由はあまりにも川の橋のそばでガレキが集中してびっくりしたところだ。
まるで、焼却場の釜の入口のようになんでも投げ込まれていた。
どこから流れ着いたのだろう、土台から引きちぎれた住宅が河川敷のがれきの中に住宅があったのもびっくりした。左の住宅のそばに小さな軽自動車がみえるのだが、左の住宅もかなりの大きさを推測することが出来る。
今朝ボランティアにはいった後ろの空き地にはご覧のようにいろいろなものが押し寄せていた。
これは何かお分かりだろうか? 気仙沼漁港の市場に入っただろう、一匹のカジキマグロがヘドロの中に突き刺さっていたこれも驚きだ。
もっと驚くことは、この亀の甲羅のひび割れは、ヘドロだ。 理由は大きな漁港には今まで海中投棄された沈殿物が懐中で腐敗し、ヘドロを作り、今回の津波で攪拌されたものが人間の仕業として返球されたと考えたい。 当然今後はこのような反省と再度起こらないような考察と実行が求められる。
これは、乾燥したヘドロがひび割れた状態だ。これと全く同じ現象は石巻のヘドロだ。 原因は大きな人口、そして大きな港周囲に海産物の倉庫そしてこれらから出された廃棄物が港周辺にヘドロ層を海中に作っていたと思われる。
これは、魚の切り身も流れ着いていた。 ヘドロの悪臭もひどいもので、魚市場の腐った匂いと漁船の廃油の混ざった匂いが鼻をつく。
道路はご覧のようにヘドロと家財道具の廃棄するためのやまだ。
この頃見つかったアルバムはどれほど傷んでいなく、大槌町で写真洗浄では、写真の劣化したものが多く、再生の苦労していたのでこの写真とは比べられない。 この写真もどこからか流れ着いた大切な写真だろう。
ボランティアの休みに近くを見て回ったらいろいろなものがとなりの空き地にたくさん流れ付いていた。屋根を支えていただろう構造物も分解してながれついていた。
気仙沼はサンマで有名な港で、日本でも1、2位に当たるほどの水揚げがあるので、当然港の倉庫にはたくさんの保存さんまがあったろう。 これが流れ着いたサンマでいたるところに見ることができた。
このようにさんまがヘドロにまみれいたるところで散乱していた。
聞く話によると津波が引いた後は、自分の家がサンマの大群に取り巻かれていたと。これが臭くて大変だった
ご覧のようにまとまって流れ付いていた魚もあり、多分冷凍で固まっていたものが流され、それが解凍する前にここで固定してしまったらしい。
今朝から入っているボランティアの人達とこの家のご夫婦だ。 ご主人は誰のから助けも受けずに必死で働かれたらしい。 ついに自分だけではできなくなったので、ボランティアの噂を聞いて、お願い下らしい。
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