この写真はグーグルアースで確認した写真で雄勝と言うところでした。
2011/10/13
おはようございます。
まだ東京にいます。 あすは九州に黙想会に行きます。
そろそろ、集めたデーターをお見せできればと考えて今日から始めます。
先日、女川から帰り道を、戻ることなく進んで、南三陸町に行って見ました。突然港町に出たらなんとビルの上にバスが乗っていたのです。 あそこ駐車場?と考えるのが当たり前、しかし上に登る道がないので、駐車場ではないのです。 そこは石巻市の一部、あれだけ走ったのにまた石巻に戻ったのにはがっかりした。 町のお奥まで進んで見ると、ここも被災地同様に多くのところが土台しか残っていない被災地でした。 その上大きなビルが傷んだまま取り残されていました。 2011年3月11日の被害が見える形で残っているのが雄勝(なんとよむのだろう?)と言うところでした。
このバスの乗ったビルは石巻から奥に行った小さな町にありました。
町に入ると道路の先端のビルにバスが乗っていたのには驚かされた。 どうやってビルの屋上に乗ったのだろう。 3月11日の津波で浮かされたバスがひき波のときにビルの屋上残ったのだろう。
ビルの屋上からはみ出たバスの後部、阪神大震災の時に高速道路からはみ出たバスを思い出した
後部座席の窓から夕日がキラリと陽光が輝く。
バスの後部は完全に危険状態、固定されて、大型クレーンを持ってこないと降ろせないだろう。
バスがあの高さに乗せられたのは、津波が屋上を完全に覆った事実である。
屋根の上のガレキは引き波のときに 残った産物だ。
津波はどのくらいの高さまできたのだろう? 何処でも同じことだが海抜0メートル地帯が被害を大きくしたのかもしれない。
この雄勝町も地盤沈下だろうか?ヘドロと海水が残っていた。
ビルの屋上はごらんのようにガレキガ取り残されていた。 まだ時間が足りないだろうか撤去が遅れていた。
この雄勝はリアス式の海岸のようで津波が一気に駆け上がり町の奥まで被害をもたらしていた
まだまだ撤去が行われていない建物が沢山散在しています。
公共の建物はまだ取り残されて大きな仕事が残っているのだが、取り壊しは確実なようだ。
中学校の校庭に残された被災した、自動車の山をいたるところに見ている。
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