2013年2月8日金曜日

大船渡の被災家屋と気仙沼松崎地区かな


このスケッチは大船渡の街の中、海に近いところで被害を受けた鉄骨の3階建てだ。 1、2階は津波に侵入され破壊されているが、元気な人らしい、ゴミか中古の商売をされているようで、この被災をしたビルの1階で人の気配がしていた。
左側の高台に大船渡のカトリック教会と幼稚園があり、現在は京都教区の若い司祭がお手伝いをされていた。

話は変わるが世の中たいへん『きな臭い』危ない雰囲気になっている。 海上で中国艦船からミサイルのレーダー照射を受けたとか、日本がでっち上げとか、臨戦態勢にいるとか、戦争をしたがっているような報道を見るが、絶対に一線を超えてはいけないことだ。 双方にとってなんの利益が出るのだろう。 政治家はもっと話し合いと、自重をして欲しいと思っている。

中国も近代化の代償として、アメリカ、日本が体験した悪いものを学んでいるようだ。 私が最初にロスに入ったとき、機上から見た雰囲気は日中なのに茶色の霧がロス全体をカバーしていてあれは何ですか?と質問したらスモッグだと言われびっくりした。 ロスの市内に入って原因を見た。 その頃アメリカ、ロスの高速道路はなんと片側8車線、合計16車線を使って、例の大型アメ車が我が物顔に闊歩していた。
その後だったと思う、例のマスキー法が提出され、可決して、自動車会社特に日本の車はそれをクリアーするために大変苦労をした。
しかし自動車メーカーの努力でその法律をクリアーした日本はいち早くアメリカの中で日本車の存在を見せつけ、今もその恩恵を受けている。

中国はそれと同じ状態だろう、国の繁栄のために環境をおろそかにしたつけを今から払うことだろう。環境会議でごねていた国は自業自得で、自分たちでまず解決を探すことだろう。
先進国が踏んだツテを学ばないことが近道だが・・・・


これは急いで撮影したらしく、あまり正確な記憶がない。宇佐美のスタンド前の直線は何かな?と考えると、気仙沼に入る前の松崎地区かな?ここは鉄道の線が入り、壊滅的に壊れたところだ。 ただこの宇佐美のスタンドの看板が分からない。 線路脇にあるはずがない・・・・・


粉々に壊れた住宅、事務所、会社、営業店、ありとあらゆる職種の物が流れ付いているがれきの山だ。 鉄筋コンクリートの建物は比較的外観は残っているが、窓や扉から津波が侵入し家財道具をまとめて出口を作って吐き出して行った物ががれきだ。


後ろに見える少し大きな建物は何だろう? 外観は良さそうに見えるが、1階は津波に洗われなかったのだろうか?


右側の鉄筋コンクリートらしい建物はマンションかアパートか定かではないが、住宅らしく外観はOKだが多分1、2階が被害を受けていそうだ。 比較的新しそうな戸建住宅やはり窓や扉がなく津波が1階の軒先ぐらいは入った様子だ。 屋根が壊れていないのがその証のようだ。


自動車も家屋も差別なく破壊してしまった、震度8、1の大地震が作った津波は、今だ人類が体験しなかった大きなスケールだったと思う。 長さ400km、高さ低く見積もって5m、波長50km程か?これが長い日本列島の東北を襲ったのだから・・・・・・ 何百億トンの体積だろう?


このがれきには何が入っているのだろう? 構築物が壊されもとの材料に戻ってしまった、今回の大津波、ひどい結果だ。 だれにこのストレスをぶつけたらいいのか、わからない。


1ヶ月も立たない4月6日ごろすでにこのように狭い道もガレキが道路脇にいどうしてあり、車が入ることが出来るようになっていた。


新築に近い、あるいは本当に新築だった建物を奪われた今回の大津波、地震の揺れには耐えた家屋だが誰も予想しなかった津波が想像を絶する被害をもたらしてしまた。


ご覧のように自動車もタイアとフレームを残して残骸となってしまた。 これよりもっとひどい外形になってしまった乗用車やトラック、ヘドロの中に埋まった泥だらけの乗用車・・・・・・


流されてきた屋根の前にはかなり大きな家の中の梁が流れている。 厚さ300mmほどあるのかな?現代の建築ではまず使わない大きさ。 しかし原型を想像することができない。


これだけの広さ、長さの被災地の中にその当時感じたことは重機が少なすぎること、 現地だその後聞いた話だが、たの県やゼネコンが入ることを嫌った被災地、俺たちの仕事を取るな!の気持ちがあったようだ。


復興第一で、全国から動員して一気に活気を入れて欲しかったのは、私だけだろうか? そして被災地に何を作るか? アイディアのなさに嘆いたものだ。
若者のために仕事を作って上げないと、過疎化にまた拍車がかかる。

中々忙しく毎日ブログが書けないのお許しください。
中津は今朝方寒く雪がぱらつきました。

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