2013年2月24日日曜日

陸前高田市民体育館と気仙沼の2011年4月



このスケッチは陸前高田市民体育館で、実にひどい惨状でした。こちらは裏側でこの開口部の反対側が、階段で津波はこの階段を駆け上がり1、2階の入口から入り込み内部を攪拌しで場所を見つけきらなかった津波は勢いに任せて反対側の壁を押し破り、一気にあらゆるものを排出した結果がこのような大きな開口部を後ろに作り壁を作っていたコンクリートが後ろに投げ出されています。
その後津波はひきはじめ周囲にあったガレキを海に引き込むために引いたのですが、大きな開口部ば空いていた体育館にその他のがれきを置き去りにしました。 体育館のフロアーに待ちしない乗用車が真ん中に取り残されていました。津波は天井まで達したらしく天井を落とし配線や配管を天井にぶら下げ近代ビルは同じような配線が津波の引いたあとに天井から垂れ下がっていました。


四月のはじめの気仙沼市港周辺の街並みは壊れるか、鹿折地区のように火災で焼け野原となった地区との比較が出来る。 ここ港周辺は津波の勢いが強く高台に津波がぶち当たるまで押して入ってきたので特に古い家屋は破壊を免れなかった。


鉄骨の家屋も骨がしっかりしていないと外壁を壊され、鉄骨を曲げられ、再生不可能な建物になってしまった。 このあたりの家屋はまだ多く残っているのだが重機でひとつずつ解体するため遅れがちだ。 復興の進み具合は気仙沼、釜石等が同じレベルだった。


前のバスは自分たちが静岡から運転してきたもので、かなりの距離を運転させられた。 曲がった前の家屋は階下が多分津波で流され、支えをなくしたのでこのような状態で1階に落とされたようだ。


ピンボケですみません。 軽く屋根まで浸かった土蔵風な建物は屋根瓦がひどい状態だ。 周囲は壊れて完全になくなった建物だろう。


だ課題か降りてくる途中で見つけた倒壊してがれきのたまり場となった場所と倒壊は免れたが、再生不能となった古い建物だ。

津波によって半分以上引きちぎられた建物。 立て方を見てみると大きさの割には柱がしっかりしていないために脆くも破壊されてしまった木造家屋。


物置だろうか? それとも住宅? 壁がかなり古い木材で作られているので簡単に壊れてしまったようだ。 ブロック塀も鉄筋がかなり手抜きをして入っていないと津波にはひとたまりもなく壊されてしまうようだ。


車の通行を可能にさせるため、道路のガレキはこのように空いているところ、家屋の前などにうず高く集められていたおかげで1ヶ月後はほとんど問題なく入ることができた。 これは感心した所だ。


電柱はご覧のように折れ曲がり用をはたあなくなってしまったので数多く見られた。電気は遮断されていたのでほとんど危険はなかった。 しかし岩場の反対側の市内はすでに電気は開通していた。


港からだろう流されて来た船舶だろう、街の中に逆転してがれきに覆われていた。


階下を壊された建物は奥のビルのあいだに転がっていた。 地元の方だろう、ヘドロの匂いがひどいのでマスクをして生活されていた。 昨年10月頃はヘドロに匂いはほとんで感じなかった。


流されて来た乗用車もご覧のように惨めに倒壊した家の中に追い込まれてしまったのだろうか? 普段では絶対に見ることができないシーンは数多くあった。

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