2013年2月17日日曜日
陸前高田高等学校と気仙沼の四月
このスケッチは岩手県の陸前高田高等学校の校舎と右にあった体育館はすでに解体が終わり、校舎自体に重機が入り、多分現在ではすでに解体が終了したのではと推測出来る。 これと並行して近くにあった消防署、体育館等に重機が入り、撤去の進行はこのあたりでは一番進んでいるのではと考えた。 ここのご覧の用に津波は3階の教室のサッシを破壊しているので津波は3階の高さmで押し寄せてきたことになる。壊れていないのは3階の屋根くらいで生徒たちはどのように考えているのだろうかと、心配だ。
この当時のボランティアさんの必需品で、長時間仕事ができないように規制されていたので1時間ほど働いて休みがあり午前2時間ほど、午後2時間ほどで、物足りないまま、ボランティアを行っていた。
自分たちのグループは静岡県の太平洋岸のカトリック教会のグループで、下のブルーの仕事着の人は地元のベテランの大工さんで震災発生後直ちにボランティアを初められた、方で大変お世話になり、ボランティアの基本を教えられた。
被災地の現場は、ご覧のように広大で自分たちで何ができるのだろうと思うほど被害がひどく、写真の中で見る被災した自動車があんなに小さく見えるほどガレキが山となっていた。
この当時は水も貴重で、それでも昼食時は手やその他を洗い有り合わせの場所で昼食をとったのを思い出しています。 春休みだったので若い子は高校生と大学生で、若くても一生懸命に働いていた。
自分たちは70代のはじめで、それでも何かお手伝いをすることができ、色々学ばせて頂きその後のボランティアの基本をここで学ぶことができた。
被災地の最悪のところはこんな状態で、誰の家かは分からないが、住宅そのまま川の中に引きずり込まれてしまっていた。 気仙沼のYou-Tubeを見るとこんなことは容易に想像ができるほどすごい威力をその後色々見ることとなった。
この写真は鉄道の下流にある橋のたもとで、ここが一番がれきの集まっていたところで、引き波が激しかった場所だと推測できた所だ。 住宅からコンテナー、そして定期便までも川の堤に引っかかっていた。
目を移せば川の中に乗用車やトラックが何十台と浮かんだり引っかかっていた。 まだ水面の下に沈んでいる車も何台も姿を見ることができた。
海水が引いた、通常の川に戻ったとき、津波のパワーを改めて見せつけられた。 自分がスケッチをしに行った昨年10月はすでにこの川も通常に戻り津波のあとはほとんで感じることが出来なかった。
これは対岸でこの身日奥が鹿折(ししおり)地区で火災のひどかった場所だ。 水の引いた対岸はご覧のようにありとあらゆるものが、家屋の破壊された破片が足の踏み場もないほど散乱していた。
この川の下流は近く、すぐ海なので漁船が当然川に沿って押し上げられ川の中間で座礁してしまっていた。 住宅と漁船、マッチしないシーンだ。
これは橋の上から撮影したもので右側にある家屋や鉄筋のビルはどれほど海水を浴びたのだろう、川の堤防を軽く超えた津波は奥え奥えと遡上して被害を広げていった。
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