このスケッチは陸前高田市の陸前高田高校の前にある宿舎のようだ。 職員の宿舎か、生徒の宿舎か定かではないが2階の屋根までひょっとするとすっぽり津波に覆われた可能性がある。
現在も残っていいた海のそばの鉄筋コンクリート4階建てのアパートななんと4階まで津波が破壊していった跡が残っていた。 ご覧のように津波は前から入り窓を破壊し内部の家財道具を洗い出していった。 鉄筋の建物のために外形はかろうじて残った。
これはこの川の堤のましたにある住宅街で川の堤防を超えた津波がこの気仙沼の市街にヘドロと一緒に流れ込み住宅街に大きな被害をもたらした。 庭木にいろいろなものが流れ着き引っかかっていた。
下の橋は鹿折(火災の被害の大きかった地区)とつながっていて、橋の欄干に何かが引っかかり火災を起こした形跡が橋の欄干に残っていた。 この橋から見るシーンは凄まじく、津波の被害の大きさ、パワーのすごさに唖然とした。
大きなトラックも乗用車も区別なく川の中に堤防を超えて引き波が拐ってきた。 本当に大きなゴミ箱のようにみえたところだ。
最新型のハイブリッドの車のようだが、全く使えないがれきに一瞬でなってしまった。 この川の中の堤防にベンツやBMWも落ち込んでいた。
この集団、まるでモダンなモニュメントのようによくこれだけのものが集まったと感心した、塊だ。 家の骨組みや破壊された家屋に乗用車が一体何台絡みついていただろう?
これもすごく、かなり新しい住宅が2軒流れ付いていた。 津波の結果を最初に見た、衝撃はすごく、何と表現したら良いのかに迷った。
乗用車がこれだけ沢山川の中に見つかるのもその後の各地でもあまり見ることは出来なかった。気仙沼が一番ひどかったと感じた。
震災後1ヶ月に満たない頃は、交通の手段があまりなく、多くの人が歩いて必要なものを手に入れるために歩いておられた。 これは線路の上で、線路にも周囲の住宅が倒壊した材料が山のように積み上がっていた。
これはJRの鉄橋の上で、通常は補線職員が歩く不安定な歩道を使ってなるべく近くのお店まで、品物を求めに移動されていた。
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