2013年2月25日月曜日

陸前高田の一本松と1ヶ月後の気仙沼周辺


このスケッチは陸前高田の防潮ゲートのすぐ近くにある海岸のホテルだ、この建物は左側が折れ曲がり大きく左に落ち込んでいる、地盤沈下の典型で、白い建物は津波の来る以前は風光明媚な海のすぐ近くにあるホテルが謳い文句だっただろう。
手前に一本の松が残ったのは陸前高田で有名な7万本の松原でわずか一本だけ津波に耐え生き残った松だ。4月頃はまだ少し青い葉が残っていたのだが、多分この松の根元近くが深くえぐられ、海水が長いあいだ浸水されていたたまだろう。 枯れはじめ夏頃は危ないな、多分、かれてしまうだろうと推測していた。 これを描いた10月にはすでに枯れてそれでも『希望の松』として残そうの運動が起こり掘り起こして保存するための処置を始めていた。


これらの写真は多分気仙沼地区の被災状況の写真だ。 この鉄骨だけの建物は何だろう? ガソリンスタンドかな 空き地が広いため、破壊されたガレキがいたるところに散在していた。


これはどこだろう? 自分の記憶では気仙沼の鹿折地区かな?大きな建物でこれは多分3階建ての住宅か民宿のような家かもしれない実に大きいいお城のような風貌だ。2階までな津波が浸ったようだ。


これは気仙沼の前の地区かな? ガレキが集積し後ろの錆びた鉄塔はコンクリート関係の企業かな?乗用車もがれき同然放置されていた。


この黄色い車は何だろう、目立つ黄色の塗装は国道交通省の名前が入っていた特殊車両が被災地に入っていた。


これは先ほどあったガソリンスタンドのクローズアップでガレキが山のようにうず高く流れ込んでいた。オーナーは始めてこのシーンを見たときどんな心境だっただろう?


どこから何が流れ着いただろう。すごい状態です。 これらを撤去するだけで1年ほどかかったが、日本人の忍耐力にはいつも感心しています。


右下が国道だろう、その向こうは全て破壊尽くされた住宅街だろうか、ガレキしか見えない被災地の一角だが・・・・・


この写真は多分ローソンの店舗だろうが完全に破壊し尽くされ屋根まで津波にに覆われただろう。


何もない畑だろうか、雑草まで洗い流されたようでその上に漁船が港から流れ着いたようで、取り残されたのが印象的だった。


これは気仙沼線だろうか線路の被災もひどく海の近くは線路の流出やら盛土がなくなったり、がれきの覆われたり現在もこの気仙沼線は使うことが出来ないし、復興さえ前が見えない鉄道だ。


この写真は多分石の見える面が下で上にコンクリート構造物が津波で横転させられたようだ。


被災地の中でひときわ目立つ鳥居が建っていた。周囲は全壊し何も残らない中で赤の鳥居がしっかりたっており誰も目に飛び込んでいただろう。


少し盛り上がった敷地の建物も1階が破壊され、土留のコンクリートを乗り越えた津波が勢いよく建物に入り込んだようで完全に外壁、サッシ等が壊れていた。


日本郵政の気仙沼地区大谷集配センターも津波が押し寄せ乗用車を手すりに立てかけて引いて行ったようで、車の後ろが左側に残されています。


多くに見えるのが海でそこからおしあがった横の広い津波がこの国道の高台に向かった押上この位置までガレキがあるのは津波が通過した証拠だ。 津波の通過したところは整地されたグラウンドのようだ。

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