2013年2月22日金曜日

陸前高田高等学校の講堂兼体育館と気仙沼の四月


Google Chromeのせいか? ブログの投稿が難しくなり、UP Roadにこぎつけるのに苦労している。 大分県の中津市梅が咲き始めているのだが、朝には一面霜で真っ白になる寒さがまだ継続している。 そろそろ3月11日が近づく、季節だ。


このスケッチは陸前高田高等学校の講堂兼体育館のようで鉄筋コンクリートらし。 大型の建造物だが外観はそれほど被害は受けていないようだが、窓ガラスの破壊を見ると津波は3階まで浸水したのが伺える。 昨年10月に訪れた時にはすでに校舎に解体のための重機が入っていたのでそれからすでに4ヶ月になるので、このあたりは何もなくなったのでは推測出来る。 同時に陸前高田の大きな体育館の被害も凄まじく、ここも周囲に重機が入っていたので並行して取り残された公共施設が解体されただろうと、推測出来る。


ここは気仙沼の港に面した道路で桟橋に大型の漁船が津波によって打ち上げられていた。 その下に動くことが出来るタクシーが客待ちで待機していた。港に面した街の建造物はどれくらいまで津波が浸水したのかその後チェックしていないが、右側の建物の前には内部の家財道具が積まれている。


街の中の破壊は凄まじく、電柱でさえ鉄筋がむき出すくらい津波に押しつぶされたものが数多く確認できた。 このあたりは住宅や商店が沢山あっただろうが、破壊されたあらゆるガレキが内部に向かって津波に押し流され、そのパワーに破壊尽くされた気仙沼の市街地だ。


乗用車もご覧のようにベコベコにおしつぶされ、スクラップにされる運命だろう。 これらの破壊は周囲で潰されたものががれきとなって内陸に向かって津波に押し出され、被害を大きくしてしまった。


古自時代の蔵は鉄筋が入っていないにもかかわらず、津波に向かって立ち向かい、外部は少しむしり取られたようだが立ち残ったのにも驚かされた。 新築の日本建築哀れな脆さをいたるところで晒していた。 建築業界、建築会社んいを考えただろうか?


鉄骨構造で耐火壁それに、お饅頭の薄皮を貼ったような家屋、ひとたまりもなく外壁を壊れていたのが目に付く。 こんな建物を作った企業何かまなんだろうか?


古いと見られる家屋、最初の地震でも壊れただろうが、誰も予想だにしなかった巨大津波には立つすべが無かったようだ。 津波のパワーに改めて驚異を感じる。


破壊された市内の建物、コンクリートや鉄骨構造さえご覧の用にずれたり、曲がったりあまり見えないが被害を受けている。


土壁のあの土蔵、外壁が剥がされたくらいで、骨組みが残った強さ、日本建築何か学べるヒントがこれらにあるのでは? 新建築の耐火ボードに壁紙を貼った住宅今後は作らなければ良いのだが


左や奥の建築は鉄筋でコンクリート補強なため津波に強く、右隅の鉄骨建築は鉄骨が出るほど、外壁はほとんどダメージを受け、鉄骨も曲がって再生不能に陥っていたと感じる。


木造の家屋はご覧のように押しつぶされてしまった。 気仙沼市、今まで海の近くで反映したのが津波の直撃を受けてしまった。 岩手県は岩盤の県で地盤がしっかりし、海の周囲に山がせり出てきているので高台に安全な住宅地帯を確保すべきだろう。


初期の手金コンクリートか内部が木造かは定かではないが一階を潰して上が落下してしまった明治様式の建物と見た。(アールデコ建築かな?)


津波が押し込んだ2階のブラインドもご覧のようになってしまった。 誰も津波予測しませんでしたから。

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