このスケッチは最も津波の被害の大きかった石巻市南浜町でわずかに残っていた被災した住宅だ。 石巻は左右に広く奥に小高い山が遠く、一気に襲って来た津波が住宅地に侵入し破壊していった。生命も一番失われた町だ。津波は1階の屋根を破壊したことはここが到達点だ。この建物も右側の家のコーナーをえぐり取られていました。
この写真は南三陸の金華山付近の国道のようだ。自分の記憶は定かではないが、海がすぐそこに迫り海抜0m地帯のようだ。見渡す限り畑のような赤土が現れ、周囲で破壊された物のガレキが国道沿いに積み上げられていた。
皆さんまだ覚えておられると思いますが最初のヘリコプターからの映像で津波が畑に入り海から侵入し、畑にあったビニールハウスを飲み込み次々と津波が押して行った映像を記憶されていると思う。 これが津波で壊され置き去りにされたビニールハウスの残骸だ。
潰されたビニールハウスが畑の中にあるいは道路の脇にご覧のように放置されていたのをたくさん見ることができた。ここには街路灯も折れて流されて来たようだ。
津波の押し込んで来た海のそばは、何も残すことなく、すべてを破壊してただ、土の面を顕に見せていた。北は北海道から下は東京近郊まで津波が押し寄せ、400km以上の距離で一斉に日本本土を襲ってきたのだ。
右側の防風林まだ津波は押し上がって来たのだろうか定かではないが、雰囲気と色からは津波が洗って行ったような雰囲気だ。
同じ道路から山側を見ると、丘の麓まで津波が侵入し周囲の建造物を破壊しがれきを残して去っていったのが2011年3月だ。
小高い丘の上にさえ建造してさえいたら、今回の災難を回避できただろうと、今は感じるのだが、この教訓を活かして今後の町造りができるだろうか?また同じことの繰り返しで便利なところに建築されるのでは心配をしています。
すでに2011年5月頃はこのように道路は綺麗になり流通は比較的円滑に動けるようになっていた。 しかし直線で400km位、岬や湾の周囲ありとあらゆるところが被害を受けていた。 まだ知らないところ見たこともない場所がたくさんあります。
当日の津波で建物のコーナーをえぐり取られた住宅はいたるところで見ることができた。巨大な津波のパワーとガレキを集めて押し寄せてきた津波が建造物を破壊していった。
これは堤防の近くにある鉄骨コンクリートの建物は一気におしよせてきた津波が海岸で衝突し。一層のパワーをまして飛び上がったことだろう。鉄骨の骨組みを残し震災後海岸に立っていた。ガレキや色々なものが建物の骨組みに絡みついていた。
運良く無効の住宅までは壊さなかったようだが様子からはのきさきほどまでは津波が侵入したのではないか?手前の畑か水田はご覧のように壊れたガレキが散在していました。 自動車も原型をとどめることなくタイヤがあることだけで自動車だと推測は出来る。
串の歯が抜け落ちるように津波が一気に襲い、海岸の防風林を壊していったのが福島、宮城、岩手で目立った。
ここも暴風林があったところか、津波が破壊してしまった海岸の松林、そして何か想像することも出来ない粉々になったガレキが散在していた。
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