南三陸町をあとにして仙台に近づいた石巻の南浜町、スケッチした12年10月24日で残った住宅らしき建造物が3軒しか残されていなかった。 かなり新しい住宅でソーラパネルを屋根に設置したばかりのようだが浸水が1階を襲ったようで被災地に取り残されていた。
これも相馬港の倉庫や仕事場の建物は残っているのだが被災はひどく海から一気に津波が押し込んで来た最初の防波堤のようなもので、これらの建物も使われることは少ないと推察した。
倉庫のような建造物を津波が左から押し入り中で攪拌され、それでも水量が増し満杯になると出口を探し右側の壁面を海水とガレキと化した内部のものを押し出すところを探し一気に右側の壁面を破壊して押し出して行った。 パワーに抵抗した柱だがその鉄骨を押し曲げる力を見せている。
『県営3号上屋』とあるので宮城県の所有の建造物で相馬港に入ってくる荷物の保管場所だったようだ。 津波が侵入し内部の荷物を攪拌し津波が薄い外壁を一気に破壊して海水が隙間から吹き出して行ったようだ。
これだけ長い建造物だが津波の海水の体積の多さで薄い外壁は一気に海水が滝のように建物の外に噴出したことが想像できる。
被災の酷かったところのUPの写真だが多くは倉庫の中にあった荷物や壊された建造物の残骸が海に引き込まれる前にここでとどまってしまったようだ。
長い倉庫のような建物は窓を含んだ部分の外壁をメインに破壊されてしまったようだ。
写真を見ると屋根の光取りの窓も破壊されている様子だ。 津波は多分これらの建物の屋根まで浸水させて破壊したようだ。
この建造物は柱も太く全造物自体歪んでいなかったので内部を整理し、外壁を貼ると、以前同様に倉庫のような機能は取り戻せるような機がするがいかがなものか?
この白い建物も港湾関係の建造物で津波に耐えて残った一つで自動車が集まっていることはこれらの関係者が先ず内部のチェックと整理のための仕事に入っているようだ。
すでに整理のための仕事が少しづつ始まっているようだ。 理由や1ton入れる土のう袋に何か詰められ大型のクレーンで集められているのが証だ。
どこから持ち込まれて重機だか定かではないが、これらの重機が一つでもあると整理の仕方が違ってくる。多分内陸の被災をしなかった大型クレーンを見つけることは当時は至難の技では無かったかと推測出来る。
相馬港運送株式会社の倉庫のようで周囲全部が被災のガレキでおおわれ、復興のための動きは何も見えない。
壊れたコンクリートの上に成り上げた日本運輸の大型トラック。港湾整備のために集めたコンクリート塊、そこに襲った津波が大型トラックを押し流して来た最終終着点がコンクリートの上だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿