九州の中津市、暑くなって来ました。すでに28度くらいが今週は続居ています。
その中でエンドー豆の収穫や、キュウリを植え付けるための棚を今日は作りました。 この週末に雨が降りそうで植え付けのチャンスと考えています。次は200本ほどのサツマイモの苗を植える予定です。 新しい挑戦では野菜の接木をしたいと考えています。 例えばキュウリをかぼちゃの台木にして強い苗を作れるかな?と考えています。
このスケッチは石巻に入りました。 この石巻も気仙沼同様、火災に見舞われました。 この小学校(門脇小学校)も火災に見舞われ右端は小学校の給食をするキッチンのようでした。 スケッチの汚れた部分はキッチンが強く燃え3階まで燃え広がりその火炎が壁面も燃えヨギしました。
港の復旧は一番早いと感じました。街が大きいためか?
この場所は相馬港近くの被災の状況をお見せします。 このあたりは住宅はあまり無かったようで畑や水田が多くを占めていたようです。 しかし津波は松林を抜けて畑に押し寄せています。
You-tubeでは南相馬の松葉林を高く津波が押し寄せたのを見られた方が多かったと思います。 この写真では松林の被害はあまり見えませんが上のガレキを見ると樹木の根っこやその他のものを押し流したようです。
この写真では海岸の松林がほとんど残っていないようです。多分津波で松林の多くは流出したようです。その中に自動車や鉄骨までも流されてきていますね。
津波の襲った部分に住宅や自動車があったので、それらを一緒に押し流してきたようです。
自動車も原型を残していません。
向こうに見える塊はこの相馬地方を整理するために津波のガレキを移動し始めたところのようです。 このようなガレキの集積場がその後増えてゆきます。
当時はがれきも分別せずに集積場を決めて持ち込んだようですが、おの後はそのがれきを種分けする作業が入って来て処分し始めました。
ここに見えるように最初の津波の直撃で防風林の多くは根こそぎ浜から引き抜かれ内陸にたくさん押し流されました。 この場所は畑か水田のようです。
この背景は水田のようです。 ガレキは何でしょう? 前に一輪付いた手押し車のようです。 港の市場などで魚を積んで押してゆく台車のようです。 港から流されてきたのでしょうか?
これは相馬港です。 港にある倉庫や仕事場の建物がありましたが津波に直撃され外壁から打ち砕かれたようです。 港が大きいとヘドロの汚れが当然内陸部に持ち込まれています。 写真の左側はそのヘドロのようです。
大きなクレーンが立ち上がっていますが使えるのでしょうか? 黒い台形の塊はヘドロの集積場?でしょうか。港ですから広い場所があるので一時置き場に使われることが多かったです。
港の仕事場はご覧のように津波に大きく破壊されてしまいました。
これは港を利用していた日本通運の倉庫かトラックターミナルのようですがご覧のように津波が入って出るところを探し壁面を破り出て行った跡がこんなシーンです。
全て建物は大きく破壊され、自分が行った2011年5月これは人でもまばらで、復興のトラックが少しだけ行き来していました。
向こうは何でしょう? 港を整備するために必要はセメントを作っていた工場でしょうか?それとも火力特発電所?今はあまり覚えていません。
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