2012年3月26日月曜日

気仙沼の1年後


気仙沼の市街地にまだ横たわる漁船? 観光スポットとなってひっきりなしに観光客が訪れていた。


そばを歩く女性と比べるとそのスクリューの大きさが推測できる。

月曜日、 昨日気仙沼に行った。
変わったことは? ガレキが少なくなったこと。 そして倒壊しかけの家屋が少なくなってゆくことに気がついたこと。

今朝は28日29日と行う『お茶っこ』と長崎の産物の小さな販売のチラシを仮設住宅に配りに行ったこと。 一番大きな250世帯ほどが住む第五仮設住宅で10人ほどの八戸から来られた聖ウルスラ高等学校の男女の学生さんの活躍で早々と終了できた。 途中に猛吹雪にあいあわてて仮設住宅から退散してきた。 午後からは天候も回復して別の仮設住宅にイベントのビラ配りをした。

その後の気仙沼の写真を紹介したい。


ここは気仙沼の鹿折地区で火災の激しかったとこだが、ガレキもかなり撤去され整理することに関してはかなり進歩しているようだ。

家屋のベースは残っており、今後はこれらの撤去が主要な仕事のようだ。


鹿折地区の中心部はほとんど残っておらず遠くに見えるビルも多くは被災していると予測できる。


土台の残った市街地の今は・・・・


以前は観光船が入っていたところに、震災後は漁船がともに停泊しているシーンが増えたようだ


観光市場にも少しずつ客が戻り始めたようで、威勢の良い漁師の声が響いていた。


『戻りガツオのたたきは、いかが?』と声をかけていた。


気仙沼の居酒屋街が小さな復興市場や食堂を始めていた。ちょうど日曜日だったので、観光客があふれて、食事をするためにかなり待たされた。

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