2012年11月19日月曜日
砂の上に乗せる堤防ブロックを津波から守る杭の提案
この船越魚港周辺の堤防は壊れたままだが、被災地のガレキを現在は種分けをしているのが、主な仕事で、全日本の重機が入り一斉に仕事をすれば早いのだが、被災地の問題も多く、地元の利権や政治が工作しており、ほそぼそと仕事をしている感が否めない。がれきの種分けをすれば被災した住民の場所がおろそかになり、復興するのはいつのことになるだろう。
この堤防のブロックを元に戻すことさえ政治決断ができていないと思う。
簡単なことは、堤防のブロックがまだ壊れていなく、多くはジョイント部分が外れたのでそこを接合すること、次のアイディアはしっかりしたポールを砂地に打ち込むこと、ただ打ち込むだけではなく、いざ津波が来た時に接合部や、打ち込んだポールから上のブロックが外れない、切断されない工夫うが必要だろう。 まず外れないポールまたはそれに類したコンクリートの技術を考えること、ポールが抜けないためには途中を太くして抵抗を作ることが必要だろう
堤防の下の土台の中に打ち込む杭(ポール)は左上のような形状にすると杭打ち機で打ち込め。抜けにくくなると思う。 このような杭を打ち込んでその上に堤防のブロックをしっかり溶接しそれも津波で破断しないように工夫うが必要だろう。
2012年11月16日金曜日
船越海岸の現在
これは 岩手県の上、都に近い山田町のとなり船越海岸の破壊された堤防である。 ここも自分の意見だが、 多分最初の地震でジョイントが外れたり陥没したところに強烈な津波が襲い、いとも簡単にいたるところで防波堤が決壊した。 ここは船越湾の右側が海で、そこを波から守る大きな堤防に囲まれていたのだが、今回はそれをはるかに超えた津波が各県で大きな被害を出した。
手前のスケッチは防波堤の後ろに補強の柱を付けたコンクリートの壁だがいとも簡単に移動して海岸に打ち上げられたようだ。奥はこの同じコンクリートの塊が2段で積み上げられているのだがそのジョイントも簡単に外してしまった。
この左側は津波で大きくえぐられ、現在も残っている作業上は惨めな姿を呈している。 ここの応急処理は1トンの土のうを積み重ね破られた堤防の後ろに積んで海水の侵入を一応止めている。そして連絡道路をなくしたのでその後ろに作業道路を作っているのが、現在の船越漁港だ。
2012年11月15日木曜日
大槌町の奥、堤防直下の残された家屋 よく耐え抜いたと感じる
これは大槌川の河口付近そして堤防の直下にある漁業関係の仕事場だろうが、運良くあの津波に耐え、残ったのには驚きだ、 コンクリートの建物のため破壊が少なかったようだし、堤防の直下は津波が押し寄せた時には、津波だけで破壊されたガレキが一緒に入ってこなかったのだ原因ではないかと考える。 住宅地に入り込んだ津波は最初の家屋から始まり漁船や自動車、そして破壊した一切のものを持参して奥に押し込んでくるので、次々とガレキが増え、津波は威力をまし、押してくるために、ほとんどの構築物構造物はその圧力に耐え切れず次々と破壊されてしまいほとんどのものが残ることができなかったようだ。この建物の破壊から想像すると、堤防を有に2、3mの津波が超えて建物を押したのである。大槌町は役場側はコンビニローソンまで、国道45号線まで押し込んで来た。 もちろん現在のマスト(スーパーマーケットやホーマック(DIY)まで、ガレキが流れて来て現在のマストの駐車場はがれきの修正上になったようだ。
2012年11月14日水曜日
遅くなってすみません。
今日は日本代表のサッカーを久しぶりに見ていたのでUPが遅くなりました。
ひどい代表戦でしたね。 今晩はモスかの本田全くダメでしたね。 どうしてあそこまで愛着持って使うのだろう、早く変えれば良いのにと思うし・・・・ 最悪の試合だったと思います。 しかし勝ってよかったです。 今日は最悪引き分けかなと考えましたから。
話が別になりましたねごめんなさい。
こえは岩手県の大槌町のふれあいセンターです。 これを記念に残せば良いと提案しましたね。NPO法人の元ここの担当者に案内していただいて内部を見ることができましたから、ここばまだ整理されていない最後の大槌町の建物ですが、責任者がここに気がついてくれるでしょうか? 心配です。
ふれあいセンターは建物の正面から津波が入り、中のかぐや外からのガレキを含んだ津波が建物内に入り込み、1、2階が体積的に満杯となり勢いがされに加わり、津波の出る場所がなくなり、後ろの壁面を押しつぶし、外壁を萩尾十四津波がこちらに出ていったことが内部に入ることにより知ることができた。
このスケッチは後ろから見たスケッチです。
2012年11月13日火曜日
今回の東日本大震災の記念となる何かを残したいものだ。
このスケッチは大槌町の元パチンコ店『カネマン』の前から役場に向かって描いたスケッチで、現在役場の前は青空スタンドがガソリン販売を営業している。
お店はこの周辺には全くなく、営業しているのは役場のもっと左、T字路の交差点にある喫茶店ムーミンだけで、その他は大槌北小学校の周囲に仮説店舗が有り、ムーミンをまっすぐゆくと小鎚川の(古廟)橋がありそこにスーパーマーケットとDIYのホーマックがあるくらいで、お風呂屋さえなく、風呂は釜石か大槌町にゆくしかチャンスがない。
近頃のニュースだと、街造り委員会なるものの会合があり、旧大槌町役場を解体するか、保存するかの議論が行われるらしい。
現在大槌町を見渡すと、震災の傷跡は数件しか見当たらない。 この大震災の惨状を後世に参考として何か残したいものである。
自分の意見としては『地域のコミュニティーセンター』を残してはどうだろうか?これが震災のガレキをまだ2階は処理していなかったと思う。 そのためには床に散らばったガレキをそのまま保存して、アクリルの厚い床を造りそれを直に上から見ることが出来るようにしたら良い(阪神大震災も活断層を見られる施設を作っていたと記憶している。)。 その他にも大槌町病院が残るが、ガレキを一切撤去してしまったので、悲惨さが見られない。 役場も同じだろう。
それ以外には最後にひとつ残る赤浜の漁協の建物、これも解体の予定のようだが・・・・・
これらを全部撤去すると何も後世に残すものがなくなる。
あー!そうだあと一つ赤浜に残っている『はまゆう』乗った、民宿これも良い候補だろう。2階はどのように整理したかは定かではないが
後の人が今回の震災を参考とする記念を残して欲しいものだ。
2012年11月11日日曜日
東北の街づくり提案
このスケッチは小鎚川の水門近くから大槌小学校方向を見たスケッチで、現在は、この小学校はリペアーされて大槌町仮役場となっている。 先日のスケッチ同様この手前は大潮になると海水が入り込み大きな池のようになってしまう。
今日の新聞に出た被災地の復興ニュースで岩手、宮城、福島は被災地を平均で17mほど、嵩上げして使うようだ。
凄い土砂の量だが、実際にこのようなことを実施するのだろうか? もっと皆が真剣に考えて被災地をどうするか意見を募ったほうが良いのではないだろうか?
自分が最後にお世話になった大槌町を考えて見ると、岩手県の寒いところ。 膨大な予算を掛け、高い盛土をして住宅を復興したから人口が元に戻るだろうか?予算が無駄だし土建業者を喜ばせるだけだ。 昔の日本の箱物行政と変わりない。
自分ならこの比較的大きな被災したスペースに人を雇える企業を作りたい。 企業に来て欲しいと求めても簡単には来ることができないだろう。 自分たちで作るべきだ。
まずここに火力、それも天然ガスを燃やす発電所をつくり(脱原発が根底にある)、ガレキを燃やす焼却場とガレキが亡くなった時に地域のゴミを燃やす焼却場をつくり両方で大量の温水も発生させたい(公共と個人の住宅にもお湯を供給、温水プールも子供たちにも使いたい)。 それはまず第一は地場産業として被災地に綺麗なガラスの温室をたくさんつくり、冬場でも働け、生産のできるものとしたい。 できれば24時間稼働できる野菜工場が理想だろう。 野菜だけではなく、花も、果物も作れば良い。現状では冬の5、6ヶ月は寒くて農業もっできないから温室はこれを解決でき、雇用を産出できる。 港を浚渫し大型客船が入れる港が欲しい。 東北にアジア、アメリカから観光客を大型客船で呼ぶのはどうだろう。 スキーをやりたいオーストラリア人も可能だろう。東北地長は観光資源も豊富にある。
農業、観光だkではダメだ。 漁業はもちろんもっと発展させたい。 岩手県で採れる海産物を海外にも輸出したい。 採れた海産物は最新式の超低温の倉庫で管理し季節を超えて使いたい。 そのためにCASの超低温冷凍庫は必須(CASは農業でもりんご農家でも使いたい)だろう。
三陸鉄道多くの住民が復旧を望んでいる。 これはよしたほうが良い。 新しい鉄道を考えるべきだろう。 無人運転の市電みたいなものを考え、地域の住民を考えて電車にしたらどうだろう。
釜石から大槌町、吉里吉里を通り、山田町に入るループ式の市電だ。こんなものを山手線のように回して使いたい。生活の現場と観光地を結んだ市電が理想だが。 観光地が遠ければ現実的なものを考えたい。現場、高齢者、子供たちに優しい交通機関を作りたい。 被災地を再度また津波が襲う可能性はあるので、盛土などしないで広い面積は有効に使いたいし大金をあまりかけたくない。子供たたちの将来を考え、子供たちが過ごしやすい場所を作るべきだろう。 子供をたくさん作ると奨励金や奨学金がもらえる建にしたい。若者、子供たちが健全に遊ぶ場所、グラウンド、体育館、公園等をつくり、若者を呼び戻せる東北を作るのが先決だろう。 人が住むところは(絶対の高台だ、今は車があるので全く問題はない)同じ災害は起こさない場所を選定して新しい街、魅力的な街を作りたい。
近くでは、遠野、角館、遠くでは柳井、倉敷、奈良井宿、奈良今井町、川越、美々津、萩浜町等が参考になるだろう。 美しい住みよい街は観光客も集まってくれる。
理想的な新しい街を東北の太平洋沿岸に作って欲しいと願っています。
2012年11月10日土曜日
大槌町の地盤沈下はご覧のようだ
スケッチの中心左側はムーミン喫茶店、繋がっているような建物が長崎大槌町ベースで台湾の芸術家グループが壁画を描いてくださった。 被災地の大槌町の中で近頃はかなり目立った存在だろう。
手前のブルーが置かれた部分は時間と潮のタイミングによってこのように海水が大量に入ってくるのがまだこの大槌町の現在だ。 嵩上げして住民が住めるようになる案もあるようだが、それには膨大な資金と土砂が見つかるかどうか、次に嵩上げしてもそこに住む住民が十分にいるだろうかそれも問題だろう
大槌町の防波堤は破壊されたまま、現場にその移動した防波堤の一部が近くに散乱しているのが現在で小さな津波が来るだけで無防備な旧大槌町には海水が入ってくるのは見えている。近衛の海水から突き出したものは住宅の土台だ スケッチの右側手前は植田病院の1階で何のために残してあるかが分からない。 その後ろの建物は地域のふれあいセンターでその前に、近頃地元の商工会の仮説の飯場風事務所ができたこと。
私事だが、大分県の中津に入って、自分の部屋が与えられ、現在は自分の部屋の作業空間を作るため昨日からテーブルをつくり、トップにニスを塗り、今晩には足を取り付けほぼ完成だ。パソコンをおいて、新しい仕事場ができた。 前回の支部より生活空間が倍ほどあるので、喜んでいる。アトリエでもあると最高だが、現在は同じ空間で2つの仕事が出来るように考えている。
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