2012年9月5日水曜日
地盤沈下?
大きな敷地に流れ込んだガレキ、
畑か河川敷かは覚えていないが、海に近いことには変わりがない。
土は砂を含んだようで大きな空間で津波も抵抗がなく、ガレキも散在したようでたまった様子は見分けられない
広い空間の中にも自動車が何台か流されてきていた。 どれくらい大きな津波どれくらいの高坂は推定できないが被災のひどさを見ることができる。
1か月近くなるのだが、津波の海水だろう帰る場を失った海水が窪地に溜まってしまった。 今から考えても土地を測量していた人たちは地盤沈下は1m~1.5mほどあるのですよと、よく聞いた話だ。手前にあるような鉄骨まで流される今回の津波・・・・
大きな池のようになった国道近くの水たまりにはいろいろなガレキが流れ込んでいた。 右下のオレンジの球は漁師さんが使うブイだ。
この斜面にはトラックの荷台だろうか倒木の下で斜面に止まっていた。 右上の赤い鳥居は津波の難を逃れたらしくしっかり地面に立っていた。
すでにあきらめたのであろうか廃棄処分されるだろう畳が積み重ねられていた。 この畳はどこから出たのだろうか完全に倒壊した家からか、それとも半壊の家からだろうか? 写真後ろは壊れないまま流されたらしい家屋が・・・
流れ着いた家屋は一階が津波で流され押しつぶされ傾いてしまったらしい。 持つ使われることはないようだ。 後ろの家屋も一階は津波が入り押し流されなかったらしいが、その後の経過では津波のはいいたところでは再建できる可能性はないようだ。
このような大きな建物も大きく傾き完全に使えなくなった状態で土台から移動された建造物も数沢山見ることができた。 後ろの建物はガレキが津波で押し流され建物の壁面を傷つけてしまった。
大きな建物のそばには、建物が耐えて残ればガレキもその場所に残されることが多かったようだ。 折れた電柱も見ることができる。
よくこんな弱い障子が残ったものだ。 浸水はしたようだが勢いがなかったのかと推測できるが、しかし紙は破れてひどい惨状だ。 流れ出た家具類かそれともその後引き出された家の中の品々か?
しっかりした家屋、お金をしっかりかけて建築した家が、その後のボランティアの経験から言うことができる。 安い材料、手を抜いた建築物、古い建造物は鉄骨でも倒壊した家屋が目立った。
大きな農家や地主の家は結構取り残されたように残っていたのが印象的だった。
この家もどこまで津波が入ったことだろう?内部の家財道具が家から搬出されていた。
国道沿いの奥に目立つ白い鉄筋か鉄骨の建物は津波に残ったようだが、どれくらい浸水したのだろう? 少なければ再利用ができる可能性もあるだろう。
土地の窪んだところに入り込んだ津波は海水が出ることができず、窪地に残っているところがいろいろなところにめだった。
どこから流れ込んだのだろう大きなコンクリートブロックが残され橋のガードレールは津波の方向によって折れ曲がったのがうかがえる。
凄いガレキの残骸でいろいろなものが流れ着いていた。 このエリアにどれくらいの集落があったのだろう?見る限りでは数軒しか確認できない。 これらのガレキを撤去するのは並大抵のことではないとわかる。
2011年4月6日 仙台から気仙沼に移動
どの当たりだろう?目に飛び込んで来た被災シーンは数多かったと記憶している。
南三陸町前かその後の場所かは定かではないが、いたるところに異常な光景がさらされていてほとんど手をつけられない状態だった。 仕事は多分支援物資や必要なものの輸送がとどこうることなく行われるのが目的で国道45号線を中心に、がれきの撤去がメインで行われたと感じた。 そんな中であるところでは街に入ることができず、道を探して気仙沼にアプローチした。
現在走っているシーンは国道45号線だと記憶している。
これは国道をはさんだ空き地、市街地、畑、空き地に押し寄せられた被災したありとあらゆる品々、建物、車、その他のものが集積していた。
これは多分空き地に押し込んで来たがれきの山だろう。
想像することが難しい建造物だ。その中に横倒しになった軽自動車らしきものが入り込んでいる。手前には破壊されたコンクリートや小石が一緒に流れ着いた。
国道に通じる小さな道も同時にがれきの撤去が進行し、小さな重機が活躍していた。被災地のどの場所にも重機が必要と分かっても、十分に配給されずほそぼそと動いていたが、それらの少ない機械でもしっかり働き結果を出していた。
流れ着いたがれきか、一時的に集められたガレキかは定かではないが、津波によって粉々になった日本の建造物だ。 これほど建物が弱いのか、建築した会社がひどいのか? それ以上に津波の威力をまざまざと見せつけられた。
これは段々畑か、空き地か定かではないが、津波が上から来たのかしたから上がって来たのか分からない土地だが、確かに津波の入った形跡が残っていた。
3月11日以降数ヶ月はこのようなシーンが国道沿いは続いた。自治体のゴミ収集車が働けなく、がれきの集積場が決まらないために放棄されたゴミがうず高く残された。 それでも被災した方々もゴミの収集がしやすいようにしっかり国道のそばに集めるのも、日本国民の気配りが見られた。
上の写真の左は津波が襲い、残ったものは土台のコンクリードだけで、その前には綺麗にまとめられた、家財道具だろうか、廃棄するのか、再度使うのか迷った末の整理のようだ。
車窓から撮影した国道と道の交差点には、ガードマンが付いて仕事がスムーズ に進行できるよう早速働き始めていた。 奥には破壊された集落や、押し流されたガレキが自動車等がいたるところに見られた。
このガレキが詰まったところはありとあらゆるものが押し流され、壊れた家屋や樹木が一緒に津波で流され、それにぶつかったものを次々に破壊して内陸部を襲った。そんながれきの中に乗用車も数多く含まれていた。 電柱は折れ曲がりなかに入っている鉄筋がコンクリートから抜け出す現象を数多く見ることができ、電柱ももろいのだなーと実感した。
電柱だろうか安定のために付けられたコンクリートも虚しく、抜け落ちて流された。手前は畑だろうかガレキが抵抗なく津波に押し流され奥の集落まで到達して破壊してしまったようだ。
この写真の一段低い場所に位置した家屋は1、2階ともに津波が入り辛くも外側が残ったようだ。その上の緑の屋根の家屋も津波が入り周囲の建物を破壊しているようだ。 その上は最終到達点に近いせいか建物の破壊は免れたようだ。
手前にあった家屋は室内の床と土台を残して津波ですべて流されたようで、この家が流されて、次の家にぶつかり、次々と破壊力をガレキが作り集落を潰していったようだ。
ここにも電柱が倒れその上にガレキが積み重なって、家屋の屋根のスレートだろうか、壁面だろうかグニャグニャになったトタンが津波の力を見せていた。 奥には下から運ばれた家屋か、上から落下したものか定かではないが天地の逆さまになった住宅が無残に転がっていた。
津波の押し上がた斜面のいたるところにガレキが取り残され被災地の悲惨な状態が散在していた。 被災地に入って見ないと状況を推測するのは不可能だとわかった。
津波の威力は木造住宅など根こそぎはがし、動かして移動させている。この写真は家屋が天地逆にしたのかそれとも屋根の瓦が全部落ちたのか分かりにくいが、異様な光景だ。前には電柱が倒れその右後ろにはさびた鉄骨まで流れ着いたようだ。
この写真の電柱は完全に折れて鉄筋も切断して流されたようだ。 ここにもいろいろなガレキが流れ着き取り残されている。電子レンジだろうか?
この住宅跡は土台とその家の木製の床のみが残され、その他の部分にはガレキが残され、その後ろはどこまで津波が駆け上がったのだろう?右側は斜面が壊れてしまったようだ。
大きな空き地は元畑か水田かその少し後ろは小高い丘がありその周辺に集落が形成されていたようだが、どれくらい残ったのだろうか?
2012年9月4日火曜日
2011年4月6日 仙台から気仙沼にボランティアで移動
2012年3月11日に起きた東日本大震災を長く記憶するためにパソコン上で何なできないかと考え、ボランティア期間中に時間のある時に記録した写真を掲示したいと考えて、今後できるだけお見せしたいと考えて動き始めました。
今日の写真は震災後4月の初めに、浜松教会からボランティアに参加するとの動きがあり、最初に参加しました。 最初は写真を撮ることに少し問題があるかな?との気持ちがあり、普段使うデジタル一眼レフは持参しなかったので写真が画質は少し低いと思うが、それはあまり皆さんにはわからないことだろう。
これらの写真はパナソニックのLumixで撮影し、仙台にはいった後、ボランティアを指示された場所はまだ、借りたすジャパンさえ、ベースのない気仙沼だった。仙台から、およそ150kmほど離れている地域で、仙台教区の小松神父、カリタスジャパンの稲江さんに案内され国道45号線を北上した。
東北道(高速道路) で北上することもできたのだが、被災地を通過する国道45号線の選択は、ボランティアに入るための準備をさせてくれた。
これらの写真は移動したバスから写したもので、いろいろ障害物も入っているのもお許し下さい。
これはどのあたりだろう?国道をはさんで右側から津波が入り、大きな被害を出し、国道45号線を乗り越えて左側にもガレキが散乱していた。
道路はごらんのように国道を開くための作業が行われ、車の渋滞は被災地に向かう作業車やその他の車でごった返していた。
目に飛び込んでくる被災地はショッキングなシーンが多く、どのようにしてこんな結果が出たのだろう、どうしたら復興ができるのだろう?と単純な考えが 襲ってくる・・・・・
少しクローズアップすると、ありとあらゆるガレキがいたるところに取り残されていた。 倒壊した家屋のそばに粉々ないなった生活用品や家屋の残骸が取り残され、ほぼ完全に外側は乾燥しているので、津波を想像することはできなかった。
国道では左側に小型重機ががれきや、土砂をトラックに積んでいるので渋滞が引き起こされていた。
震災からまだ1ヶ月過ぎてはいないが、17年前だろうか阪神淡路大震災の時と比べると、交通渋滞はあまり感じなかった。 こちらのほうが入りやすいなと感じることができた。 しかし渋滞は続いています。
これはフロントガラスを通して写したもので右側に橋脚だろうか取り残されているものがあり、多分鉄橋部分が崩落したらしいことを察することができた。
この白いガードは通常は道路と歩道を区分する手すりだろうが右側から入ってきた津波に押し曲げられて取り残されたようだ。
前の車は仙台教区の 案内の車か? 渋滞しているので、周囲の写真を撮ることは比較的楽だっと思い出している。 トラック左側の斜面はガレキが散乱しそこまで津波が押上げたのが推測できる。
これは道路を開くためにまとめられたのか? ガレキがうずたかく積み上がっていて、今回の東日本大震災の津波の凄さを気仙沼に着くまで感じさせられた。
このようなシーンは今後いたるところに見ることができる。 柱や屋根は運良く残った木造の家屋は道路にうず高く畳が積み上げられ、今後このようなシーンはすべて廃棄処分される畳だとわかった。
このあたりはガレキが道路脇に廃棄されているが、ヘドロが入っていないのは南三陸町あたりかな?と推測できる。道路脇に出ているものはすべて廃棄物で、廃棄処分の車がくるのを待っている。これから何ヶ月後に廃棄されたのだろう?
がれきのそばには、海が近いことを示す、漁船が打ち上げられているのもショックだった。 FRPで出来上がっている現代の漁船も船底に穴があいたり、壊れたものを沢山見ることになる。
森の中にもたくさんのガレキがが押し込まれていた。
左上は何だろう?バスの車体か、家屋のそばに横転したバスが取り残されていた。 津波でどこから押し流されてきたのだろう?
建造物にガレキが押し込まれ後ろにもありとあらゆるガレキが詰まっているようだ。
2012年9月2日日曜日
岩手県内陸部でこの夏に見つけた見事なユリの花
スカシユリ(透百合、Lilium maculatum Thunb.)は、ユリ科ユリ属に属する植物の一種。海岸の砂礫地や崖などに生える多年草。大きさは20cm - 60cmとなる。本種は古来より栽培・育種の対象となっており、交配の母種として使われることが多い。
本種と近縁種をスカシユリ亜属(Lilium pseudolirion Thunb.)として分類することがある。杯状の花を上向きにつけることが特徴。本属には、本種スカシユリの他、近縁種のエゾスカシユリ、ヒメユリを含む。
岩手県の遠野の畑で見つけた見事なユリの花、当日気温は多分30度を超えていただろう。実に熱く、快晴で雲もなく色は実に見事に撮影できた。 いろいろパソコンで探して見たが、ユリの種類が多く、満足できる解答は見つからなかった。
同じ畑の中に同種の黄色いゆりも見つけ、イエローを撮影すると時にバックに赤のゆりをボカシて入れ込んだ。 小さな畑だが花だけ見事にさきほこっていた。 もちろんゆりだけではなかったが、栽培主の花を愛する心を見たようだ。
ユリの多くは横を向いて咲く花が目立つのだが、近年開発された新種のユリの花だと推察できる。
自分も東京にいるとき確か我孫子の水性植物園で買って帰ったことを思い出している。 翌年はうまく咲かなかったようだが。
これはレモンイエローの同種のユリだろう。 見事に咲いて道行く人も色や花花を楽しんでいることだろう。 畑の持ち主に感謝だ。
最初のゆりとはまた色が異なりこれはオレンジのゆりだ。 まさか自然交配して中間の色が出たのではないだろうと推測するのだが・・・・・・
これも中間の色で黄色とオレンジの中間色かな?と思わせるユリの花だった。
この花は見事花もツボミも上をむいて咲き誇っている。テッポウユリや鬼ゆりは横向き、どちらかというと少し謙遜気に斜め下と向いてさくのだが・・・
この花は近くの畑で同様に植えられていたユリ科の花だろうか? 葉は全くことにしてススキのような細長い葉でゆりとは全く別の種類と思う。
これは何かお分かりだろうか? ビールはしれれているが、その原料になるホップで、気候が少し寒い東北や信州で見ることができ、気をつけないと全く分からに植物だろう。
雌雄異株の蔓性(ツル性)植物。ツルの高さは7から12メートルになる。また多年生植物であるため、一度植えられるとその根株は10~30年引き抜かれずに使用される。雌株には「毬花」と呼ばれる松かさに似た花のようなもの(本当の花ではない)をつけ、この毬花がビールの原料になる。日本では未受精の毬花が用いられるが、地域によっては受精した毬花もビール醸造に用いられる。
かつてはクワ科とされていたが、托葉が相互に合着しない、種子に胚乳がある等の理由でアサ科として分けられた。同じアサ科の植物にはカンナビス(大麻)があり、さらに同属にはカナムグラがある。大麻などには下記のフムロン(α酸)は存在しない。 (ウィキペディア)
実が付いているかと思ったらまだ花芽のようだ。
本種と近縁種をスカシユリ亜属(Lilium pseudolirion Thunb.)として分類することがある。杯状の花を上向きにつけることが特徴。本属には、本種スカシユリの他、近縁種のエゾスカシユリ、ヒメユリを含む。
岩手県の遠野の畑で見つけた見事なユリの花、当日気温は多分30度を超えていただろう。実に熱く、快晴で雲もなく色は実に見事に撮影できた。 いろいろパソコンで探して見たが、ユリの種類が多く、満足できる解答は見つからなかった。
同じ畑の中に同種の黄色いゆりも見つけ、イエローを撮影すると時にバックに赤のゆりをボカシて入れ込んだ。 小さな畑だが花だけ見事にさきほこっていた。 もちろんゆりだけではなかったが、栽培主の花を愛する心を見たようだ。
ユリの多くは横を向いて咲く花が目立つのだが、近年開発された新種のユリの花だと推察できる。
自分も東京にいるとき確か我孫子の水性植物園で買って帰ったことを思い出している。 翌年はうまく咲かなかったようだが。
これはレモンイエローの同種のユリだろう。 見事に咲いて道行く人も色や花花を楽しんでいることだろう。 畑の持ち主に感謝だ。
最初のゆりとはまた色が異なりこれはオレンジのゆりだ。 まさか自然交配して中間の色が出たのではないだろうと推測するのだが・・・・・・
これも中間の色で黄色とオレンジの中間色かな?と思わせるユリの花だった。
この花は見事花もツボミも上をむいて咲き誇っている。テッポウユリや鬼ゆりは横向き、どちらかというと少し謙遜気に斜め下と向いてさくのだが・・・
この花は近くの畑で同様に植えられていたユリ科の花だろうか? 葉は全くことにしてススキのような細長い葉でゆりとは全く別の種類と思う。
これは何かお分かりだろうか? ビールはしれれているが、その原料になるホップで、気候が少し寒い東北や信州で見ることができ、気をつけないと全く分からに植物だろう。
雌雄異株の蔓性(ツル性)植物。ツルの高さは7から12メートルになる。また多年生植物であるため、一度植えられるとその根株は10~30年引き抜かれずに使用される。雌株には「毬花」と呼ばれる松かさに似た花のようなもの(本当の花ではない)をつけ、この毬花がビールの原料になる。日本では未受精の毬花が用いられるが、地域によっては受精した毬花もビール醸造に用いられる。
かつてはクワ科とされていたが、托葉が相互に合着しない、種子に胚乳がある等の理由でアサ科として分けられた。同じアサ科の植物にはカンナビス(大麻)があり、さらに同属にはカナムグラがある。大麻などには下記のフムロン(α酸)は存在しない。 (ウィキペディア)
実が付いているかと思ったらまだ花芽のようだ。
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