このスケッチは石巻の門脇小学校の火災あとです。 スケッチの右下が調理室のようでここが一番激しく燃えたようです。多分プロパンガスを使用していたのではと?推測できました。
1階の右下が燃え上がり右からの風を受けて3階まで燃え上がった証拠が校舎に残っていました。
この写真は南三陸町に入る前の歌津でレストランらしき建物は湾の中に押し込んで来た津波の第一波は下の写真でもわかるように湾をまたぐ45号線のバイパスの橋桁さえ落としたくらいのパワーで、丸い展望部分を打ち破り、左端の壁面を破壊して津波が出て行ったことが建物で読めます。
湾の上をまたいでいたバイパスは橋桁が落とされ、現在も復旧されていませんでした。
湾の入口にあった住宅や、旅館は一瞬にして破壊されたと推測できます。前に横たわるコンクリートは土台です。
これは上の写真の反対側、歌津駅方面を見ながら撮影したもので、住宅や旅館の跡形さえ残っておらず、床と土台が残るだけで、後ろの鉄筋の建物は役場関係の建物でした。
ガレキがうず高く積み重なり、津波のひどさを見せていました。
街の中の国道45号線のそばに数軒残っていた建物です。 まるで幽霊屋敷のロケ現場のような感じで取り残されていました。この建物の向こう側に同様な被災したビルが数軒ありました。
ここは港の前でこの『うたちゃんばし』と言う橋が震災前までは活用されていたようですが。震災後はガレキがたくさんあったので、現在も使われていませんでした。
歌津町役場が道路のエンドに見えます。 鉄筋の建物が数軒残っていましたが全て大きく被災しています。 スケッチした昨年10月はほどんどこれらのビルも解体撤去されて何もありませんでした。
これらが役所関係の建物だったと記憶しています。
これは歌津町から南三陸町に入る坂を下りた場所から被災し、ガレキの山がいたるところに見えました。 この鉄骨は何でしょうか? 原型を残していません。
山の裾野の部分の赤土が削られているのは海から来た津波が小高い丘を舐めていったので斜面が剥ぎ取られています。
川や用水路がある部分は津波が入りやすくそれを氾濫した海水がそこから氾濫し左右の町並みを破壊してゆきました。
左上の用水路の中にマイクロバスがはまりこんでいました。
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