これは南三陸町の特養老人ホームで高台にあり津波が来ないのではと考えられていたのだがこの高台の1階の屋根まで津波が押し寄せ、You-Tubeで有名な、南三陸高等学校の斜面から写したビデオが有名だが、その高等学校の少し下に位置する施設で、多くの寝たきりの老人を高台に移動するのは難しかったようだ。
これはどこだろう? 南三陸鉄道の橋脚か、それとも海の近くの防波堤の一部か、定かではない。上に見える高台の2件の住宅、下は1階が津波で破壊されているようだが、全壊は免れたようだ。
この写真は歌津に入る前の国道45号線の一部のようだ。 道路沿いに津波が走り山の斜面を壊した様子が伺える。1ヶ月後は、各電力会社も自分のテリトリーの電柱をいち早く復旧するために動いていた。
これは本吉町から歌津に入るところの道路のようだ高台の住宅は全壊は免れたようだがやはり1階までは津波が押し寄せて来たようだ。 被災した自動車もまだ手つかずで放置されていた。
この写真は気仙沼から歌津に入った最初の建物だが、海のすぐ近くにあるため、津波の被害は甚大で、多分海の見えるレストラン、売店のお店のようだ。 鉄骨コンクリートの建物も津波の最初の直撃を受けているので一気に3階まで津波が直撃し、外壁を剥がし、サッシを破壊して行った。
スケッチをしていた10月はすでにこの建物は撤去され、歌津ではほとんど被害を受けた建物は撤去されてしまっていた。
この写真は前の写真の海側に面したバイパス道路だが津波の直撃は強く橋脚上の道路はいたるところで落下し、震災以来使うことはできていない。10月はまだこのような状態であった。
これも橋脚の1本だが津波のパワーに鉄筋の部分のコンクリートもご覧のように破壊されてしまっていた。
小さな漁港をまたぐように作られていた国道45号線のバイパスは海の直近だったの最初の一撃で橋桁が破壊流されたようだ。
橋脚ががっちり作られていたので壊れないものもあったが、橋桁は繋いでいるので破壊されたり、流された部分がたくさんあった。
これは歌津の海岸付近は住宅は何も残らず、駅に近づく付近の役場や、その付属の鉄筋のビルが残っていた。 こんなに大きな道路のコンクリートが橋脚から落下するのも凄い。
破壊尽くされた、歌津漁港の周辺のガレキと被災建物の残骸だけ、累々と横たわっていた。
鉄筋コンクリートの建物の外壁やサッシは弱いところで津波が侵入し、出て行ったあとにできたその傷跡だ。2階建ての上の屋根まで多分津波が落下した海水の重さで破壊されたのでは推測出来る。道路は国道45号線で右側は高台に南三陸鉄道の歌津駅があるが、津波が鉄道の盛土を押し流し、鉄路(線路が一部破壊されていた)
国道を挟んで右側に歌津町役場やその関連施設が残っていたが10月にはほぼ被災した建物は解体され、撤去できていた。
これは重機が入り、被災したガレキの撤去に唸りをあげて仕事をしたいたが、これらの重機は1台くらいしか無かったと記憶している。
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