2011年11月7日月曜日

その後の東北地方の報告です

この写真は四月の初めに撮影した釜石の近くの唐丹町の記録で現在はかなり整理が進んでいました。


漁港にはこのような漁船が沈んでいましたが現在は何も残っていません


今にも落下しそうな住宅もありましたが、自分の記憶ではこの家も残っていませんでした。


ギネスブックに登録された巨大なコンクリートの防波堤は津波に耐えることができませんでいた。



津波はこの上の消防署の1階まで襲ってきたようです。


この巨大な防波堤に守られていた集落はご覧のようにまるで、ゴミ箱の中のような惨状でした。


この窪んだ中にすべてのガレキが集中してたまったようでした。

このくぼみには住宅から自動車、漁船、ありとあらゆるガレキが集まっていました。 4月10日ごろの写真です。



皆様お元気でしょうか
その後浜松に戻って体力の回復を行っています。
まだ体は回復していません。 保険書も手に入り、まずは歯医者にかかっています。両方の肘はまだ痛く、適当な医者を見つけて治療を行いたいと考えていますがまだ実行していません。
浜松に戻る前に多くの被災地を見て回りました。記録も撮りました。少しづつでもお見せしたいと考えています。
少し変わったと思うのは、南三陸町で国道沿いの小高い山が木を切られ、坊主になっていたのが気がかりで、これが高台移転の住宅地の基礎かなと感じたことでしたが、小さな動きで、まだわかりません。
小さな被災地も、大きな被災地も平均してガレキが整理され、処理場の山が高くなっていること、土台はまだ手付かずで被災地に残っています。大型の重機が場所によっては土台まだ潰しているところも見えますが、これは仙台近郊です。


上の写真と比較していただくと釜石の小白浜の現状がわかります。


ギネスブックで登録された巨大なコンクリートの塊は3月11日からまだ動かされていませんでした


地盤沈下だろうか海水がまだ抜けず、ガレキもこの中では撤去が難しいようだ。


壊れていない堤防はまるで神殿建築のような巨大な塊です。 しかしこれを動かした津波の威力に
は改めて驚かされた。



高台からみた堤防に囲まれた住宅地。 『海に近い、仕事なしやすい』地形を選んだことが、災害を大きくしたようだ。


まだ整理の行き届かない家屋はこのような状態でした。


高台の消防署はシャッターを付け替え仕事を初めていたようだ。
この1階天井まで津波が押し寄せて来た。


巨大な防波堤の大きさが下の車との比較でわかるだろう。


大きな家屋だが8か月が過ぎてもあまり変化していなかった。

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