2011年11月30日水曜日
20110311~12日の写真 陸前高田市 気仙地区
陸前高田市の気仙地区、津波が引き始めた被災地。 堤防も現れたが、しかし人々が住んできた土地はまだ海水に覆われている。
市内で残された建物は大型の鉄筋コンクリートの建造物のみのようだ。 この写真の様子からだと3階の天井付近まで海水が浸入した様子だ。
津波の引いた跡にはコンクリートの土台が残るだけで上の建造物は完全に破壊されガレキになり押し流されたようだ。
正面の鉄筋コンクリートの横に寝そべる日本式の住宅は昨年宮大工さんが建築した家屋の一部である。その他のガレキは現在はほとんど撤去され、集積場で分別し、計画に従って次のステップに移行し始めていた。
海水が引いた直後の写真のようだ。たぶんヘドロ交じりに海水と泥ですごい様相を呈している。
多分この写真は翌朝の日の出を捉えたものだろう。 堤防近くはまだ海水が引いてはいないが、1日たった朝に被災の状況が見えてきた。
近くのお寺の高台に非難したたぶん気仙地区の住民の方々のようだ。
ヘドロを含んだ海水に洗われたガレキだが、想像以上にきれいな切り口を見せている。 地面はまだ乾燥していないようだ。
山がせり出したくぼみにやはりガレキや住宅その他の破壊された品々が流れ着き、ガレキの山を形成しているようだ。
山の斜面にあった墓場も被害を受けているようだがその斜面に人々も集まり震災と津波のひどさを確認しているようだ。
教育機関の建物だろうか、それらの建物が海水の渦を作りその中に多くのガレキが流れ込み、ガレキの山を作ってしまった。
津波が去り、恐る恐る地面に立ち、被災地を歩きだした時のショットのようだ。 足の踏み場もないくらいにガレキが散乱しこれからの整理が思いやられる。
2011年11月29日火曜日
20110311 の陸前高田を襲った津波の様子だ
陸前高田市を覆い尽くし始める津波が映像に残っていた。すでに川向こうの幼稚園も津波に襲われ、川は氾濫し、川を挟んだ両方の町は浸水し始めている様子だ。
このシーンはどれくらいの水深だろう、手前の川の防波堤を乗り越えた津波が市内を襲い始めている。まだ家屋は残っているのだが。その後手前も対岸の陸前高田市も壊滅してしまった。
手前の家屋は壊れる前の状態を残しているのだが、現在は土台の鉄筋コンクリートしか見ることができない。ガレキはすでに集積場に移動されている。
この写真では対岸の町の幼稚園の三角帽子の屋根の先端だけが残り、すでに1階は水没してしまっている。橋の欄干は流され、対岸の中心街はすでに水没し、津波の巻き上げる波や飛沫が町全体にたちこめている。 手前の町の中にも激流が流れ込んできた。
背景の7万本の松の木も現在は1本しか残っていないが、すでに枯れてしまっていたのは残念だ。
手前の気仙町に流れ込んできた津波が小さなガレキも押し流し町の中に侵入し始めたシーンも残されていた。
これは何時間後の写真だろう すでに3階の屋上にはガレキが残り白いビルの汚れから推測すると3階の窓の高さに津波の水が来たことを明快に物語っている。 左のビルのガレキは煙を出し始め火災の始まりか?
津波が引きはじめ川の中、海の中にガレキを引きずり込んでいるのが見える。 町の中の家屋が津波にもまれて粉々に破壊されガレキと化したものが町全体をカバーしている。
ガレキがまだ海水の上に散乱し、引き波で流れ始めているシーンだ。 山の入り江になったところにまずガレキが集まり始めている。
完全に破壊された陸前高田市の気仙地区で、海水はまだ1mほど残っているようだ。 鉄筋のビルは3階建てでその屋上までガレキが覆いかぶさっているのは完全に水没した証拠だ。
左の家は、現在自分がお付き合いしている陸前高田の宮大工さんの建てたばかりに家屋も流され、ここに流れ着いていた。 すでにこの家屋も解体されて現在は見ることさえできない。
2011年11月19日土曜日
先日陸前高田でいただいた当日の津波の写真
気仙川を遡る津波の第一波。 この後に河口から1000mの姉歯橋は決壊。
これらの写真は先日陸前高田に行ったときいただいた写真だ。 私が4月のボランティアに入った、最初に知り合った方から地元の高校生が撮影した写真を見せていただき、それをコピーさせていただいたものを掲載します。 震災の数日前に撮影した陸前高田の市街地も写っていますが、3月11日の大津波で一気に破壊された、すさまじい津波のパワーの凄さに改めて驚かされる。
これは陸前高田市の全景だが現在はこれらのコンクリート土台しか残っていない。
この写真は津波の前に撮影された陸前高田市の風景だがいまは、すでにこれを見ることはできない。
津波の先端を捉えた写真のようだ。 堤防を越えることなく津波が川に沿って遡上し始めている
水量が増え始めた先端の大津波はすでに堤防を乗り越える高さに達している。これが津波の始まり
この写真は大きな水門があるのだがそれも軽々と乗り越え、写真の左は、有名な陸前高田の松林も1本残して全部流されてしまった。この写真ではすでに水門付近は津波が堤防の高さを超えて侵入し始めているようだ。
津波の先端は低く橋の下を通過できるのだが、津波が高くなると容赦なく橋を正面や上から覆いかぶさるのでひとたまりもなく落ちてしまった。
これだけの津波の塊が一気に姉歯橋にぶつかり、次のもっと高い津波が押してくるので、これくらいの橋ではひとたまりもなく決壊してしまうのだ。 この下にある国道45号の大きな橋も落ちてしまった。これだけの波だがパワーを感じる写真だ。
この写真では防波堤から海水が溢れ出し、街の中に侵入してきている。 怖い写真だ。
すでにこの写真ではこちらの川の堤防は津波で溢れ出し、街の中に海水が浸入し始めた写真だ。 ここもいずれは破壊され何も残らない。 赤い屋根は幼稚園だろうか
2011年11月17日木曜日
日没のダルマ現象を捉えた
先日インターネットで日没の写真が出ていた。
昨年浜松の砂丘で夕日を撮影したがやはり『ダルマ現象』はうまく撮影できなかった。 雲もなく海面に落ちたのだが、今年も同じような期日なので、撮影ができるかもと、昨日、日没前に海岸に行った。 日没までおよそ1時間、 撮影するためには寒くても『我慢』はつきものだ。 海面から太陽が高いときは、輝きすぎてうまく太陽の輪郭は捉えられない。 海面に近づいてくると、大気の汚れのためか輪郭が捉えやすくなる。
海面に沈む瞬間にこの『ダルマ』が現れるのかと期待したら、なんとその前から反射が始まり繋がった現象が現れ『ダルマ』のように見える現象を今回は捉えることができた。 運が良かったようだ。
ついでに砂浜で見られる現象をいくつか撮影してみた。 ご覧ください。
砂浜で生きる小さな植物と、夕日の光が作る影の美しさです。
後ろの防風林の松から落ちた松かさが砂の上に落ちた。
名も知れない小さな植物が枯れてできた映像だ。 逆光で撮影したものです。
あるところには、小石が沢山、散在しそれが風によって周囲を砂を吹き飛ばしできた造形です。
石が作り出す面白い彫刻です。その石に当たった風と砂が作り出す彫刻です。
砂が海水で少し固まったところを風と砂に削られてできた荒々しい砂紋だ。
砂浜で見荒れる砂紋、砂がサラサラで柔らかく、風の強い浜では見られる現象です。 撮影は逆光気味で撮影した方が立体感が出ます。
2011年11月16日水曜日
日曜日の南三陸町での仕事 これらの写真は以前に撮影したものです
日曜日の仕事はこの建物の前の被災地の整理でした。 前に見える建物は相変わらず屋根にガレキを乗せています。 ボランティアが建物の内部に入り整理もしていたようです。
南三陸町での日曜日の仕事は、他の地方と違い、被災地の現場をきれいにする仕事がかなり残っており、社共に行くと仕事はあるようだ。
ベースを出て朝9時ごろにサポートセンターに集まり登録を済ませ待つこと3,40分10時には自分たちが持ってきた車で現場に入り、仕事をし始めた。 個人参加の人はたぶん南三陸町の車で同じ現場で仕事をした。 当日はたぶん200名以上のボランティアが参加し。大きなグループは観光バスで参加し、終了と同時に帰って行ったようです。 土曜日曜日はこのようなグループが沢山参加しています。 ただし平日はボランティアも激減していると感じています。
仕事の内容は重機できれいにされた住宅地に入り、コンクリートの土台の残った場所の整理と清掃、ガレキの撤去とその分別でした。5,6人グループで一軒の間取りが与えられそれをきれいにしました。工具が少ないのが難点だがそのあたりにあるものを利用してきれいしにしてゆきます。多くは軍手で、がれきを集め、ガラスや瀬戸物、金属の小さな物を拾い、地面を平らにして、コンクリートが打ってある土台は砂や土を除去して、完全にきれいにして完成です。2、3時間かかります。与えられる道具はスコップと1輪車くらいで、熊手も数えるほどしかありません。
しかし2,300人ほど入っているのでかなり仕事は進みます。 自分たちは4軒ほど仕上げました。『カリタスさん早くてきれいにしてくださいます』と喜ばれました。 今までのボランティアの方々の実績がものを言ってくれていました。 場所的には三陸町の海から2.300mの地点で、3軒のアパートのある近く、被災地に仮のコンビニのあるところでした。 まだまだこのような仕事をするのならいくらでも人手のいる場所です。
土を移動する仕事ですから結構力を使います。 以前に痛めた両腕はまだ治りきれない状態でまた力仕事をしたためにまた、悪化したようですが、仕方がありませんね。
残されたアパートの内部の現状です。
ひっきりなしに訪問者が訪れる南三陸町防災センターあとです。
解体の進んだ地区の地面はコンクリートの土台さえ見えなくなっていました。
中心部に残されたビル群ですが、すべて撤去されるのではと推測できます。奥に県立志津川病院が見えます。
ひどい破棄のパワーを感じるもので、強く作られたはずの鉄筋コンクリートも、津波の一瞬の力に破壊されてしまっています。
有名な南三陸町の防災センターの跡です。 訪問者が多く、みなさん何を感じておられるのでしょう?
土台を崩したところは完全に更地になり始めていずれは津波さえ忘れ去られるのかと考えると複雑です。
このアパートは海辺から100mほどのところですから完全に屋根まで水没し、ガレキが取り残されて現在もそのままですが、いずれはこの建物も解体だと考えられます。
この高さのビルの屋上ですから、ここは完全に水没したところです。
鉄筋コンクリートの建物の屋上に、取り残された乗用車はまだそのままです。
整理もされないままに集められたガレキの山で、これも重機が少しずつ整理をしてゆきます。
まだ解体の終わっていない鉄筋コンクリートの建物も津波で押し流されてきたものにより破壊されたコンクリートの壁面です。
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