2013年7月31日水曜日

20110518 石巻の港付近のの被害


ここは石巻港のすぶ前だ。 津波が一気に押し寄せたところで、大型の倉庫や加工工場等がたくさん軒を連ねていたところだが、石巻の怖いところは太平洋が大きく口を開き、地震が起きて津波が来るとまた同じようなダメージを受けるだろう。 ここは何か大きな仕事の出来る安い投資で人の集まれる企業を起こすべきだろう。 自分ならガラスの温室で野菜から花、果樹等が良いと常常考えている構想だ。


ここも何か海に関する仕事場だろう。1階は津波に洗われ、全て使えなくなったと推測するのは難しくない。 しかし建物はそれほど高い投資で出来てはいないようだ。 貯蓄があれば再生はできるだろう。


多分見渡す限り小さなたてものはすべて無くなってしまったようだ。 津波は2階の中まで入り込み中を攪拌し引くときに弱い部分をぶち破って出て行った跡が見える。 これらの建物の多くは発泡コンクリートのパネルを使っていたようだ。 軽くて比較的強いから。


最初の地震で土台が揺さぶられ、元砂地だから液状化で地盤沈下が予測できる。 実際はあの丸いマンホールの蓋まで土地があったところが揺さぶられて落ち込んだようだ。


左の水の溜まっている部分は地盤沈下で全体が低くなりそこに津波の海水が残ってしまったようだ。 側溝は全部ヘドロでつまり排水は不可能だろう。


いたるところに陥没したくぼみが出来水たまりを作ってしまった。 大型の施設は残ってはいるがやはり全部津波に水没したので1、2階は滅茶苦茶に壊されガレキの集積場となっていた。


ご覧のように軽量発泡コンクリートパネルはガレキがおしくらまんじゅうをして押してきたので粉々にはならなかったが、鉄筋の入っている部分で力に耐え切れずひび割れてしまったようだ。


水産加工場や倉庫市場等が占拠いた港周辺はご覧のような破壊を受けてしまった。これは梅雨時から夏にかけて最悪で匂いハエの発生等が襲って来た。


波除の防波堤はあるのだがそれをはるかに超える巨大津波だったので、大型漁船や大型の貨物船等も防波堤やテトラに乗り上げてしまった。 石巻では4、5000tonの貨物船も桟橋に押し上げられていたのを記憶しています。


港で使われていた漁船だろう内陸部に流されていました。 石巻は新興住宅地でも左右に広く奥まで山や丘がなくこれが多くの被害を出した原因でした。


津波が一気に港から(左方向)押し寄せたのでこの建物は右側に津波が強い力で押したのがあととして残っています。内側に曲がってしまいました。

2013年7月30日火曜日

20110518 石巻の被害

今年の7月もあと1日 実に早いです。 大分県中津市暑いです。 今日も雨が降りそうにない、これで1ヶ月くらいか? 困ったモノです。 山口県など近いのに、雨が降らないので、畑の野菜はすでに諦め、次の秋から冬にかけての準備に切り替えつつあります。
今日は雑草がすごいので、次のものを作るためにそれを手で除去しました。結構な量が出ます。


これは被災後の石巻に1部です。 自動車実にひどい、ヘドロが襲来し、海水と一緒に港周辺の街一帯を攪拌し去っていったため、いたるところにヘドロが残されたのです。 ヘドロはもともと自分たちで作ったもの、仕方がないと言えばそうかも知れないが、今後に備えてそこに気がつき改善できるだろうか? 大きな港、人口の多いいところはそれだけ海を汚してきたのだから。


2階建ての豪邸も自然のパワーには全くのお手上げ状態で、津波の引いた後は街中が歪んでガレキに覆われてしまったのが今度の東北地方でした。 水平垂直を失った街です。


何が積み上がったのだろう? それとも何かが落下したのだろうか? めちゃめちゃで全く分からいシーンだ。 あの力強そうなトラックもご覧の通りグチャグチャでした。


このブルーの塊、何でしょう?どこからか外れて津波で街中を引き回され津波が引いた後には全く原型を残さない、分からないモノに変形してしまったようだ。


流されてゆくうちに巨大なパワーが働き自動車も全く原型を残さない今回の津波のパワーでした。


ここはトラックのターミナルだろうか、トラックの被害が目に付く。 大きな仕事場、倉庫のような建物も津波が押し込み1階の屋根まで破壊していった。 ということは、3mくらいの水深があったのかもしれない。


今回の東日本大震災で目立つことは、鉄筋の建物は津波のパワーが強くてもそれに耐える強さは持っているようだ。 これも津波が1日の天井ほどあったようだが建物はしっかり残っている。 


ありとあらゆるところに遠慮なくガレキが押し寄せ、それらをほとんど地上に残していった。他tものの外形は強いが、ガラスやサッシは津波に打ち破られ中を攪拌されて出て行ったので弱いところに結果が残されてしまった。


本当に凄い力です。鉄類もグニャグニャに曲げられて変形してしまいました。 これも一体何でしょう? 工場の渡り廊下の屋根とその柱が折り曲げられたのかな?


津波と一緒に破壊されたあらゆるものががれきとなり一緒に押し寄せてきたのでパワーが何倍にも拡大して被害を極端に大きくしたのが今回の大震災でした。


これは石巻港に並んで立ち並んでいた水産物の関連した建物だと思います。大きなダメージを受けた石巻港周辺でしたが、思った以上に復興は早く、昨年スケッチして回った10月には多くが稼働していた。

2013年7月27日土曜日

20110518 石巻の被害


道路を整備するためかガレキがうず高く積まれた石巻の住宅地。 津波の入ったところは全てこのように破壊されてしまいました。 側溝もご覧のようにヘドロが詰まって街の排水を不可能としています。


新興住宅地もご覧のように何の差別もなく汚され、壊されてしまい、住民の方々は住むことができずに、仮設住宅で生活される方が多いいです。


まえの赤い屋根の家はとなりだろうか?それとも流されて来て家にぶつかって止まったのだろうか土台を外されながれついたとしか考えられない。


この家の御主人で1階は津波が入ったが、幸い2階が助かったのでここで住めるように整備していると話された。ヘドロに覆われた市内だが水道も復旧したので周囲を洗われていた。


津波で弄ばれた後の軽自動車もご覧のように悲惨な格好になってしまった。


原型を全くとどめない大型の乗用車。ヘドロに覆われがれきの中を流されるとこのようにほとんど原型を止めることはできないようだ。


大きな住宅も土台ごとうかされ、流されてこのようになってしまった道路脇の住宅。 道路は川と同様に津波が一気に入ってくるのでこのような被害が出てしまいます。


住宅の中でもスペースがあると、あるいはスペースが出来ると津波が押してきたあらゆるものがそこに流れ込む可能性があるようだ。


津波に揉まれたありとあらゆる物がどこにでも放置されていた。通行を普段のように戻すために道路内にあった全てのガレキは一時的に広場に置かれたようだ。


電柱もご覧のように津波の高さのあたりにガレキ類がぶつかって折れてしまったようです。


あれだけ巨大な津波が破壊した長さ400km以上の被災地だが、神戸の時より道路は復旧が早かったと思います。 もちろん人口の比率と街の大きさ自体が違いますが。

2013年7月26日金曜日

20110518 石巻の住宅街の被害

久しぶりに雨が降ってくれましたが本の一瞬、3週間ぶりかな?畑がずいぶん痛みました。野菜が被害を受けました。 こんな時は諦めですか。 それでも水遣りよりは少し量が違います。自然の力には感謝です。


スケッチは終了したので、被災の写真をお見せします。 これも11年の5月に撮影したもので、被災地石巻の川の向こう側にあたります。これはホンダのステップワゴンかな? 交通事故でもこのように大破するのはめずらしいが、津波のパワーに改めて驚かされます。


震災後2ヶ月くらいですが、まるで更地になったような何もない場所もありますね。 ここは住宅街ですが、門脇地区より住宅が沢山残っていました。 最も周囲に小高いおかのような、低い山もあります。これが津波の勢いを抑えたように感じます。


ご覧のように、近くまで山が迫っていますから、助かった人々も多かったと推測できます。 しかしこの震災では石巻が一番死者、行方不明者が多かったようです。


これは何でしょう大きな樽、味噌かか醤油または酒蔵から漂着した足るでしょうか?近くに河口と港があるのでこのようなボートや漁具等の漂着はいたるところで見ました。


津波で押しつぶされた電柱も多かったのでこのように電線が切断され垂れ下がった光景もたくさん見ました。 電柱自体切断され、中の鉄筋がむき出しも多かったです。


避難呼びかけ中に被災したのだろうか、自警団の消防自動車だろうか? 津波にあい、粉々に崩された消防車でした。


がれきとともに埋もれた軽自動車、持ち主は安全だったのだろうか?


この建物も土台から外され、流されて行き着いたところが他人の家の軒下、がれきとともに撤去される運命になってしまったようだ。



震災にあい風景が一変してしまった、石巻の住宅街。電柱とともに横転し、流されてきたところが他人の家のとなり、それも隙間のない場所。

2013年7月25日木曜日

昨年自分が描いたスケッチはこれくらいでした。 20110518 石巻の被害

暑いですね、皆様いかがお過ごしですか? 大分県の中津市雨が2週間ほど降っていません。 畑をやっている者にとって困っています。 農家の方々苦労されていると推測します。 野菜ができませんね。 キュウリが変形しています。 土地の亀裂がひどく水分不足が土地を見るだけでわかります。 今日も35度以上でしょう。


ここは奥松島の鳴瀬地区で元水田であったところのようだが、今回の震災で陥没し、まるで東南アジアの大きなエビの養殖場のような雰囲気、巨大な池が出現したようにも見えるところで、中心を1.5mほど盛土して自動車の道路を作り海水を数台のエンジンで排出しているが、大潮や雨が降ると瞬く間に元に戻ってしまい、3年経っても回復できていません。
その中にとり残された1軒の住宅らしき建物がいまだ残っています。


これは石巻の住宅地です。 海に近い部分はほとんど全壊で、このあたりは津波が入ってきているが威力をなくした部分らしく建物は津波に耐え残っています。 ガレキを津波が押し流してきているので建物の外壁を壊したり、傷つけています。


海の近くの破壊された住宅やその他のガレキが津波で一緒に押し流されてきたので、終点には多くのガレキが取り残されています。その中で弱い建物も壊されています。


大きな建物は学校でしょうか自治体の建物でしょうか。 鉄筋コンクリートの建物は比較的この震災の津波に耐えて残ったものが多かったようです。 今後の津波を考えうと鉄骨より鉄筋コンクリートの建物を作るべきでしょう。


住宅地もご覧のように津波で流されたり、大きく傾いたり、今回の津波のパワーには驚かされることが多かったと思います。 自動車などもひとたまりもなく壊れ、流されましたね。


津波はただ海水だけではなく、自分で壊したものを全て押し流してきますので大きな抵抗となり、奥深いほど破壊力をまして壊してゆきました。 建物の被害を見るだけで、津波の通過した場所がおおよそ推測できます。


壊された建物が押し流され、津波の海水で押し流されて次の抵抗を巨大な力で押しますからそれに耐えるか、負けて倒壊させられます。


簡単に出来た工場は鉄骨を残して外壁は簡単に壊され、哀れな姿を呈しています。 機械など重いものは地上階に設置されているので津波の海水に浸ると使えなくなり被害を増大させます。


全開した住宅の土台を確認できるくらいで、押し流されたガレキが取り残されています。 多分自分の家のがれきではないでしょうね。


すぐ向こうは海と川の接点に近い河口部分で、漁船が沢山係留してあったと思います。それが一気に住宅部分に押し流されていますからそれらも凶器となり、破壊の手助けをしています。 このあたりにはたくさんの船や漁船が打ち上げられていました。


古い蔵でしょうか?破壊は免れても曲がってしまいましたね。 蔵の作りは結構強いなと感じさせられました。


現代建築作りが安く、ひどい建築を作っているなと、被災地でいつも悔しい思いをさせられました。 住宅建築をする企業、何かこれらにヒントを得て、自分の建築を見直す心が芽生えたのかな?それを期待しているが可能性は低いと思います。