2013年4月30日火曜日

本吉海岸の松の根と気仙沼松崎地区



このスケッチは本吉の海岸の近くに流されて来た松の根だ。3月11日の津波で一時、津波に内陸に押し流されその後、引き波で海のすぐ手前まで流され、陸上に固定されてしまった。 最初は根元から引き抜かれた松の根だが、ふうに流されこれに付着していた土石は全て落とされ、幹と大小の値や幹が絡まって固定していた。これ以上にまだ多くの根がついています。


3月11日のわずか30分位で押しつぶされたありとあらゆる、街のものがガレキと化し、松崎地区はガレキの集積場となったようだ。川の中もご覧のようにがれきで覆われてしまった。


住宅の幅とほぼ同じわわ幅にその住宅がガッポリはまりこんでしまい、手前はガレキの集積場、じゅうたくの向こう側は通常の川と違わない川面があった。


西側の川の中にはガレキに混じって原型をとどめない軽自動車も流されていた。 この軽自動車なお持ち主は無事だったのだろうか?


陸上のガレキの中には大小様々な自動車も流されて散乱しています。
津波の到達した丘の麓までの住宅は残らず破壊されてしまったようだ・


これは工場だろうか?それともトラックのターミナルの建物だろうか津波で大きく屋根が曲げられて多分この建物も解体されるだろう。


外観は無事なようだが、様子を見ると2階の窓がほとんど破壊されているので2回建ての建物の軒先まで津波が来たようだ。 気仙沼のヘドロも入っているだろうと予測できる。


土台と上の建物を流され、建物の床がかろうじて津波で流されるのに耐えたようだが、津波の威力に負けて上部は引きちぎれ流されたようだ。


水産加工場が倉庫か定かではないが一階が壊滅的に破壊されたようで、解体の運命をだどりそうだ。 ここ、松崎地区も多くの乗用車が被害を受けている。画面の中に何台見るけることができるだろうか?


農業機材や漁業の関係道具、そして自然界の植物や樹木その根っこ。あらゆるものが一緒になってがれきとなってしまった。気仙沼松崎地区。


何年型のどのメーカーの車だろうか? 無残な形状になってしまった今回の巨大津波のパワーのすごさに今でも驚くことが多いですね。


この写真の対象物も何だろう?と考えてしまう。 津波に何とか耐えて倒壊を免れた建物が一軒だけ確認できるが多分この松崎地区も全て更地になってしまうだろう。

2013年4月24日水曜日

自分の管理する畑の現状です。2


この写真は4、5日前から芽生え始めたメークイーンの新芽です。 このようにゴロゴロした土の塊ですが今年はこれでよしと考えなければいけませんね。 色々な野菜もこのような荒れた土の中でも新芽を出して頑張ってくれています。 農業は実に楽しいものです。 自分が植えた一粒の種から数日または数週間もすると必ず芽を出して応えてくれます。 まだ多くは小さな苗ですが頑張って畑に適応した反応をみせてくれます。 毎日その種の変化、芽の変化を見ることが実に楽しく将来を夢見ながら頑張っています。


1っぽんの長さがどれくらいあるでしょうか?40mくらいかな? 結構長いです作物は畑の中心から攻めて左右に伸ばしています。 今後は豆類、カボチャ、キュウリ、ズッキーニ等が移植を予定しています。 ズッキーニは初めてで、どのような結果が出るか楽しみです。 今朝からそのズッキーニの種から小さな新芽がで初めていました。


これは何を植えた畝でしょうか? 白菜かビタミン菜のようです。 今日から地元のホームセンターではサツマイモの苗をだし初めていました。 これも作ろうと考えています。


今日はショウガに藁をかけ保温と保水に勤めています。どのように止めるか考えていましたが、普通雨の農家ではやらない紐で上をバツ印に止める工夫をしました。 見るとびっくりすると思います。


メークイーンのの一番元気な株です。沢山の幹別れをしているようで、もっと大きくなるとそのなかの元気な幹を残し芽かきをしたいと考えています。


最初に土から出始めたメークイーンの目は濃いいグリーンですが、大きくなるにつれ若草色に成ってゆくようです。 実に小さな芽が大きな土の塊をお仕上げて地上にではじめると心がたかなります。


秋にはどれくらいsううかくできるだろうか?とか大きな芋ができてくれるのだろうか?色々考えていますが、今は元気に伸びて欲しいと期待しながら毎日成長を見ています。


これも今年初めて挑戦するゴボウです。うねを少し高く盛り上げ種を蒔いたのですがどれくらい深く地中に潜り込むだろうか?掘るとき苦労するかな?とかすでに心配しています・


仲間がすでに月ほど先行して植えた同じメークイーンが順調に伸びています。
今日の夕方から雨模様と予報を読んでいるのでめいっぱい移植や種まきをしました。
同じトマトで接木のトマトは収穫量が違うと言うので今年はテストで10本ほど植えて見ました。どのような結果が出るだろうか?

2013年4月23日火曜日

自分の管理し始めた畑の状態です。


この写真の林の前は今年の春まで牧草の生えていた所を少し返してもらって新たに畑を耕して作った畑です。 この林は全てこの施設の敷地です。手前の畑は昨年まで使っていた畑。 すでにじゃがいもの芽が大きく育ち始めています。 私の畑はその次の茶色の部分で昨年の使っていた畑の2倍ほど。


乗用のトラクターの掘る鍬が高速回転できるので昨年以上に土は細かく砕くことができるようになり今年は少し期待しています、 上の畑は今年まで牧草地だったのでまだ土をなじませることができていません。 それでも浜松よりはマシです。


環境に慣れさせるために種からポットに移し、強い苗を作っているところです。 直射日光を避けて木陰の下で環境になじませています。 この野菜は中国菜のタアサイです。


このグループは白菜かな? 種から発芽させ現在かなり大きく成長し畑に移植する前の状態です。
根がしっかり成長し強くなってくれると畑に馴染みます。



始めてつくるトマト。 自分であまり好きではないので、基本的に作らない予定だが、キッチンの賄いさんが欲しいと言われるので作り始めました。 自分でもこのネットは傑作と思う。 トマトが成長すると上が重くなり倒れるのでそれを避けるために工夫した作品です。 アルミのパイプを建て、それにコンクリートの中に入れる鉄の枠を利用しています。


この鉄の網の前にトマトの苗を植え、成長し始めると固定するために考えたアイディア。 強風にも多分耐えられる強さはあると考えています。 風の抜けも抜群です


この網の向こうにトマトの苗を20本ほど植えました。 こんなにつくる予定はなかったのに。
これだけの仕事をしていて、おまけに樹木の剪定、面倒見て、下の芝刈り、腐葉土の作成。仕事がいつまでもたくさんあります。


すでにこれはまだ、小さいタアサイの苗を畑に移植するための延長(未成熟のため)をしているところ。
この環境に慣らすことでポットの中で根の張り方大きくなっている。


これは白菜でかなり大きく葉が成長しているので、雨の降る前の日を狙って移植を予定しています。 この種からポットに移植しなおす作業も自分ひとりでやるので結構腰にきます。


これもよく成長している白菜の苗です。 現在はその後の仕事で水菜の苗をポットに植え替える作業をしています。 その他蔓もののカボチャ、キュウリ、豆等を作っています。


緑の多い、檜の下で環境に慣らし、その後影のない畑に移植します。 小さいうちに畑で弱らないように雨の前に移植ができればベストでしょう。 

2013年4月22日月曜日

松崎地区の被災と 2011年4月15日気仙沼松崎地区

近頃ブログが中々アップできずご迷惑をかけています。
理由は忙しいこと。 大きな畑を動かしているので種から発芽させ、それを苗まで育て、ポットに移し替え大きく育て、その間環境になれさせ次に畑に移植するのを一人やっているので実に忙しいです。 その間庭の芝を乗用の芝刈り機で刈り、草を集めて腐葉土を作り庭の手入れ、樹木の手入れと面倒もやり選定や枝落とし等色々忙しい仕事をこなしています。 天気と雨の間をぬって、直に種を畑に植えたり、作った苗を畑に移植しています。 結果としてかなりの率で新しく今年から作り直した畑を消化しています。 ようやくジャガイモやゴボウその他の野菜も元気よく成長し始めています。 


これは南三陸町に入るまえの本吉町の海辺で、津波さえなければ海に一番近い宿泊施設だったようだ。 しかし2011年3月11日は最悪の日だったようだ。 この建物の傍にあった建物は土台を残して跡形もなく消えてしまい、この鉄筋コンクリートは3階まで津波に洗われ1階は壁が打ち抜かれ現在は土台を洗われ、毎日厳しい波に1階まで洗われている。 倒壊は時間の問題だろう。 自治体で解体をしてくれるだろうか?



この写真は気仙沼の松崎地区でガレキしか残っていないほど徹底的に潰されたようだ。 このあたりの津波のパワーはすごかった様子がこれらのシーンで理解できる。


小さな川面津波が楽に入り込みその川幅を軽くこす津波は左右に氾濫し街を壊滅させてしまった。引く波で川に氾濫した家屋やガレキが海に戻っていったが途中を一軒の家屋が塞ぎ流れを止めたようだ。


原型を全くとどめないタイアのサイズから軽自動車だとはすぐにわかるが、どこの会社のどの種類かは全くわからないほど、原型をとどめていない車が川で止まっていた。


がれきにはありとあらゆる生活用品の残骸がぶら下がっていた。 よくここまで粉々に破壊できたと感心するばかりだ。 奥まで何も残っていない街の跡だ。


これはJRの三陸鉄道でこの小さな川に架かった鉄橋だ水面から平常でもそれほど高くないので、津波が引くときにガレキはこの鉄道の鉄橋でストップしたようだ。


これも珍しいシーンで、この川幅一杯を一軒の家屋がすっぽりとはまり込み川の流れをせき止めてしまっていた。この家から山側は見渡す限りガレキに覆われ、川の中も瓦礫だらけだった。 反面家でせき止められた海側は川の中にほとんどガレキを見つけないほど、平常の川のように見えたのは不思議だった。

2013年4月17日水曜日

女川の横転したビルと20110413 気仙沼松崎


このビルも女川の横転したビルの一つで、手抜きの結果がこのようなことに繋がったのではと推測出来る。 パイルも土台のしただからオーナーに見られることもないし、先ずひっくり返るなど誰も予測できないので短いとか細いなど気にすることなく施工されたのではと疑問を持つ。


これは気仙沼の中心街から半島一つ仙台側にある松崎地区でやはり鉄筋コンクリートの建物は比較的津波にも耐えているが窓や扉をガレキと津波が押したので破壊されてしまった。 ご覧のように津波は高台の足元まで迫っているのだが、上にお仕上がって気配はない。


国道に散乱したガレキをガードレールの向こうに押しやったのか、津波で流れ付いて来たのかは定かではない。


道のそばに積み上がった瓦礫の溜まったところ。 この街に入って見るとほぼ壊滅して残っているのはほんのわずかな建物だけだった。


幼稚園かもしれない。 津波はどこまで浸水したのだろう。 幼稚園なら子供たちは全員無事だったのかな? 1階は完全に水没したことだろう。


破壊された住宅と胴体から離別した屋根が流されて終着点はここ。 トラックも同様。ドライバーはどうだったのだろうか? 今後は高台に人々が住み始めるだろう。


破壊された住宅は区別なく津波が襲ったのだが、その中でやはり破壊されたモノは少し古くなった住宅や、十分な予算がなく安く仕上げた住宅は多くが、犠牲となったようだ。


頑丈そうな新築の住宅も津波に耐えて生き残ったのだが、1階は必ず被災しているので、再興ができるかは微妙な問題だろう。 住宅自体が少し動いたり歪んだりしている可能性も大きいので。


破壊された住宅はこのようなガレキに変化したものが多い。 海も近いので漁具やホタテ、ワカメの棚などもガレキに混じっています。


高台の麓まで破壊された住宅やその他のガレキが押し流されて来ています。 もう少し高いところに住んでいたら助かったのに。 日本の国土は津波がくるのが分かっているのにもかかわれず、高台の開発が進んでいないのが問題だ。 つい便利な低地を選んだ生活した人々が今回の震災の津波にやられてしまった。 今後は高台を中心に生活が展開することを願っている。


現在自分のいる大分県の中津市の高台に生活しているのは、大型の津波が来ても一応安心だ。 海からの距離は2KMほどかな? 山国川が流れているのでこの山国川の周囲は危険地帯だ。


このあたりは高台で、ガレキを押し流した津波の到達地点のようだ。 これらの住宅より上は被災から免れたようだ。


これは後ろの住宅の上までガレキが津波によって持ち上げられたのだろうか?


松崎地区は半島を持っているので、気仙沼湾の外にあるので、気仙沼がつくったヘドロの影響は少し少ないようだ。